トマーシュ・ヴァインレプ監督とペトル・カズタ監督作の『私、オルガ・ヘプナロヴァー』を観ました。
通り魔殺人事件により死刑を宣告されたチェコスロバキア最後の女性死刑囚オルガ・ヘプナロヴァーの半生を描いた作品です。
事件前に日刊紙と週刊誌に対して「自分の行動は自分の家族と世界に対しての復讐」と綴った手紙を送付し、死刑執行前にヒステリックに泣き喚いたかもしれないという逸話からアイディアを膨らませ今作はつくられています。
前半部にてオルガはオーバードーズによる自殺未遂を行い精神科病院へ入退院を繰り返し、レズビアンであることを自覚し恋人を求めそして振られてしまう様子などが映されます。
その中で学校を辞め運転手の職に就き一人暮らしをはじめます。
終始ディスコミュニケーションな空間が繰り広げられ、オルガは段々と社会との繋がりを失っていくというよりも最初からオルガは社会を拒絶し家族や周りの人々もそんな彼女に寄り添うことはありません。
孤独を募らせるというより孤独が当たり前の環境にあり、拒絶されてもオルガなりに社会へ適合しようとする姿は痛々しい。
このように周りに支えてくれる人がいないので映画としてのドラマ性は皆無で通り魔殺人への凶行を止めてくれそうな人物も全く現れません。
オルガを受け入れてくれる場所も人もどこにもないのでした。
精神科病院へ入院したオルガはそこでいじめを受けます。
彼女はおそらく通っていた学校でも同様にいじめを受けていたのだろうと病院でいじめを受けた後にトイレで嘔吐するオルガの姿はオーバードーズで死のうとしトイレで嘔吐していた以前の彼女の姿に重なり察してしまいます。
結局学校も病院もオルガにとっては苦痛極まりない場所であり、その原因はいじめにあります。
いじめというのは絶対にやり返してこない自分より弱い立場の人間に対する迫害であり、いじめっ子は相手がやり返してくるなどと想像はしません。
そんないじめっ子に対しての壮大なやり返しがトラックで人込みに突っ込む通り魔殺人へ繋がったのでした。
ただオルガはこのようなことをする必要など全くありませんでした。
なぜなら彼女は読書家で日刊紙や週刊誌に送った犯行声明文からも文才に長けている様子が分かります。
もし彼女の才能に気づく人が周りにいれば凶行などに向かわずに全く異なった人生が広がっていただろうと思います。
そして他人に寄り添えるメンターがちゃんと機能する社会が構築されずに現代に繋がり、通り魔殺人や大量殺人はセンセーショナルなニュースの一つとして消費される有り様に。
もうどうしようもないのでしょう。