タイ・ウェスト監督作の『パール』を観ました。
第一次世界大戦中、アメリカ南部の農場で暮らすパールは映画スターへの夢を見るも農場に縛り付けられた現実から抜け出せず凶行に及んでしまうというストーリーです。
パールは敵国となったドイツ帝国にルーツを持つドイツ系家庭に育ち、母親のルースからは厳格な躾を受け父親は半身不随にある抑圧された環境で過ごします。
そして、パールはその鬱屈とした日常のはけ口として農場の家畜を人目に付かず屠殺し街へ出て映画を唯一の癒やしとし次第に映画へ出演する夢を抱くようになるのでした。
ここまでならパールが自身の夢を語りルースと口論の末に、ルースが自分の言う事を聞かないパールを殺そうと襲いかかるか
あるいは、夢の中で生きているパールの様子をルースの視点から観ることでパールの異常さが段々と明かされていくか。
または半身不随の父親の視点から実はパールもルースも父親を殺そうとしている。
などなどと非常に楽しみになる展開を勝手に妄想しながら観ていたら、肩透かしもいい加減にせえと言いたくなるような結末でした。
この作品はなにがやりたいのか?とホラーファンの私は思ってしまいます。
恐怖の要素が少なくとも楽しめるのがホラー映画の良きところですが、この作品には恐怖以外の要素はユーモアに欠けたつまらなさ。
夫の介護と農場経営そして娘との不和に悩みながら牛舎で乳搾りを終え帰宅したルースがリビングでくつろぐ夫に声をかけると首が切断されており、斧をもったパールが廊下を渡り歩きリビングに近づいてくるシーンがあるようなベタなホラー映画作ったら駄目なのでしょうか。
適当に燃死体やウジ虫を出しとけばいいと思っているのか。嘆かわしや。
それらがホラーに必要な不安ではなくただ不快なものとして画面に登場してしまっているので、不安がホラーにとっていかに大切であるかを脚本家はスティーヴン・キング大先生の著書から読み取るべきです。
全くホラーでアートごっこするんじゃねえと私は憤っています。
というわけで今作は主役選びを大いに間違えてしまった作品であるように思います。
もし主役がルースであったならば全く違う印象を抱いていたこでしょう。
もったいない作品です。