ののの・ド・メモワール

その日観た映画や本や音楽の感想を綴ったりしています

閲覧いただきありがとうございます。
日記のように色々なこと(主に読書、映画、音楽)のアウトプットをしていきたいと思います。まれに雑記も書きます。
実用的なことは書けませんがよろしくおねがいします

チャイコフスキーと辞めるタイミング

 瞑想を実践しても大概数十秒で目を開けてしまうので、なにか継続できるような工夫を色々と考えた末に思いついたのが優雅な舞踊会を頭に思い浮かべることでした。

 しかし、ここにも問題がありまして、というのもこの舞踏会のBGMがなんだったかどうしても思い出せない。

覚えやすいメロディーでよく聴くクラシックの曲なのですが、それが気になって仕方なくなり、結局瞑想に集中できずにいました。

 そして最近やっとこの曲がなんだったのか判明し、それはチャイコフスキーの『くるみ割り人形』でした。

 次に気になるのは私が思い浮かべているのが本当に舞踏会なのかということです。

 



語学学習がてらに仏紙ル・モンドのニュースをつらつら見ているとこのような記事を見つけました。

イル=ド=フランス地域圏ヴァル=ド=マルヌ県にある小都市ヴィルヌーブ=サン=ジョルジュ市長・フィリップ・ゴーダン氏、市議会にてナチス式敬礼を披露し各所より批判が殺到。ゴーダン氏は「冗談だった」と弁明するも検察局は調査を実施する予定。

 この出来事はフランス国内ではかなり大々的に報じられているようで、日本に住む私は今月上旬に起こった某太平洋沿岸県の知事が発した発言による顛末を思い出しました。

ほとんど地球の裏側で同じようなことが起こるとは「まったくもう・・・」という気分です。

 「なんでこういうこと言うかな」と私なりに考えて行き着いた答えは「彼らはきっと辞任したかったんだろな」というものです。

 問題行動や発言を口実に任期中だけど辞任して余生を過ごしたかったんじゃないかと思います。

某知事もゴーダン氏も共に老齢であり、やっぱり余生への未練が断ち切れなかったのでしょう。

じゃあ出馬するなよと内心で思いますが。

屋根もなく法もなく・・・『冬の旅・さすらう女』

冬の旅・さすらう女

 アニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅・さすらう女』を観ました。
原題は『屋根も法もなく』で邦題は『冬の旅』または『さすらう女』です。

タイトル通り屋根も法もなく自由に身を任せ南仏の田舎をさすらう若い女性の物語。

 あらすじだけ聞くと楽しそうでドラマチックな展開を期待してしまいますが、本作は全くそんなことはありません。

というのも上映開始早々に若い女性の凍死体が現れ、彼女が何者であるのか調査するために警察が彼女と面識があった人々に訪ね歩くことからストーリーは始まります。

 以降はシネマ・ヴェリテ風なインタビューと劇映画が組み合わさった構成が続きます。

凍死体で発見された女性の名前はモナ。

彼女の信条は「楽して生きる」という至極シンプルなもので、それに従ってひたすら野宿と手巻きタバコを巻くことを繰り返しています。

ただこの「楽して生きる」というのが本当に彼女の信条なのかは分かりません。

 またモナはすごく汚く、髪の質感も何日もシャワーも入浴もしていないであろうことが伺え荷物も泥に塗れています。

最初にモナの姿を観たときに「なんやこいつ。汚いなあ」と思いました。

作中の人物たちも好意的にモナを受け入れる人々と私と似たような拒絶反応をする人々に別れています。

 モナは前者の人々に助けられますが、後者の人々からは理不尽な扱いを受け仕方なく放浪の旅を続けるのが今作です。

モナ自身が放浪の旅を望んで行っていたかはかなり疑問が残ります。

自分から望んで行っているというよりは強いられているといった方が正しいと思います。

おそらくですが、何かきっかけがあれば彼女はいつでも旅を止めていたのでしょう。

 しかし、彼女は自分に対して拒絶反応を示す人々により自分が見つけた拠り所から追い出されてしまい挙句の果てに凍死してしまいます。

 彼女の旅は拒絶され追い出されるアウトサイダーの差別と偏見の旅であったのかもしれません。

 ただ観客は2時間近くに渡り彼女を見守る中で段々とモナが愛らしくなってきます。

作品序盤はモナの汚さ相まって「これつまらんな」とほぼ惰性で観ていたのですが、終盤ではすっかりとこの世界に魅了される自分がいました。

この効果がアニエス・ヴァルダの計算の内だと思うと畏敬の念を抱きます。

どんどんとみすぼらしく汚くなっていくのに、その姿を応援したくなる気分にもなります。

その願いは叶わずに最後は畑の側溝へ落ちてしまい、冒頭のシーンに繋がることを見せつけられてしまいます。

 差別や偏見はパーソナリティをいかに知らないかで発生してしまう事、そして自分にも差別的で偏見めいたパースペクティブが備わっていることを再確認する作品でした。

 

私の片手は機関銃 『片腕マシンガール』

片腕マシンガール

 井口昇監督作の『片腕マシンガール』を観ました。

片腕をマシンガンに改造したアミが弟の無念を晴らすために忍者の末裔であるヤクザたちと格闘するスプラッター・バイオレンス・アクション作品です。

 この作品はなんといっても江口寿史さんのポップなイラストが描かれているポスターと半券がすごくおしゃれで思わず買いたくなりました。

 血が噴き出し腕や脚が吹っ飛んだり頭の皮膚と筋肉が削げ落ちたりとかなりスプラッターでバイオレンスなのですが、私は終始笑っていました。

なぜ笑っていたかというと、この作品は「そうはならんやろ」とツッコまずにはいられないシーンの連続とそれを許容するゆるい雰囲気に包まれているからです。

 ポプテピピックキル・ビルをまぜこぜにして何かの間違いで漫☆画太郎が調理したような作品です。

ギャグ漫画が大好きな私にとって今作はどんぴしゃでした。

 しかし、不条理ギャグのような作風だからといってストーリーがめちゃくちゃであることはなく王道の復讐劇を踏襲したしっかりしたストーリーの上でめちゃくちゃな事をやっています。

こういう作品にありがちな脚本が破綻し、そこから苦笑いが生み出されるということはありません。

またこういうアホな作品には大概皆無な素晴らしいショットも散見されます。

特に覚えているのは血塗れのセーラー服姿のアミが左腕のマシンガンをこちらに向けるウエストショットはすごくかっこよかったです。

 まず舞台となるのは年間犯罪件数が一桁であろうと思われるほどにのどかな地方都市。

そんな平和そうな街で人がズタズタに引き裂かれゴミ捨て場に死体が転がっているというギャップでまず笑ってしまいます。

それをさも当たり前のように受け入れる市民たちやベタな悪役キャラと化したヤクザたち、そしてアミの弟をいじめるヤクザの息子とその取り巻き。

 邦画のいじめのシーンなどは「これ撮ったやつ加害者側だっただろ」と思ってしまうほど不快でリアルな描写をたまに観ますが、本作はしっかりと配慮がなされています。

「腕とか頭は斬り落とすけれど、そこはちゃんとしとんかい」とツッコまずにはいられませんでした。

ヤクザの息子が弟をいじめるシーンでは配慮がなされているので、そういうのが苦手な人でも安心して観れます。

 そんな終始笑顔で観れる作品ですが、終盤の神社での決闘を行うシークエンスでは思わず手に汗握る展開となります。

弟の復讐のために立ち上がるアミと彼女を助け夫の復讐のために立ち上がったミキが共闘する展開は燃えます。

ちなみにミキは最終決戦にて片脚チェンソーガールとなり、そしてめちゃくちゃ強いです。

 アミもその後にミキの意志を引き継ぐように片腕にチェンソーを装着しチェンソーガールへと変貌します。

チェンソーマンやん」と笑いましたが、ここからの展開が怒涛すぎました。

最高の一作です。

 

 

今月に入って始めたこと、そして猫の恋模様

 

 断捨離がてら家にある不用品をちょっとずつ売って得た資金を元手に私は去年(というか一昨年・・・)から悲願であったカメラを手にしました。

手にしたのはフィルムカメラで、そしてフィルム代が高くてビビっています。

 フィルムカメラを手にした理由は私は利き目が左なのでカメラを扱えるか心配であったこととデジカメはエントリーモデルでもそこそこの値段だった(気がする)ので、お試し程度の軽い気持ちもあります。

 実際フィルムカメラの本体は探せば格安の物が多々あり、本体と50mmレンズそしてフィルムを買っても元手は枯渇せずに余裕があります。

 しかしそうは言ってもフィルムが高いのでパシャパシャと撮影はできず、「撮るべきかどうか」の自問自答をしながらシャッターを押しています。

4月の上旬に田舎に旅行に行った際も結構悩みながら写真を数枚だけ撮りました。

 使ってみて感じたフィルムカメラの面白いところはシャッターを押してカメラを下げた瞬間に目の前の景色のどこを切り取って撮影したのか確認できないところです。

 もう一度ファインダーを覗けばいいだけなのかもしれませんが、なぜかそれを行う気にはなれない。

フィルムにはその瞬間の自分の気持ちも刻印されているのだなと感じていました。

 そしてもうひとつ今月に始めたことは瞑想です。

実際やってみて思ったことは瞑想はすごく難しいです。

呼吸を意識して目を数分間閉じるだけの行為なのに結構な集中力が必要です。

 なかなか上手くいかんなと思って色々と瞑想やら禅について調べていると「見性成仏」という概念を知りました。

自分自身を否定せず仏になる性質があると自覚する禅宗の教えのようで、私は禅宗に改宗したくなりました。

 見性成仏の精神を多少は実践して頑張ってみると、上手く瞑想に入れるときが不定期に存在し結果はすごい心がすっきりします。

上手くできる時間帯などを探してこれからもやっていきたい次第です。

 



  近所にめちゃくちゃ毛並みが汚く世の全てを憎んでいそうな目をした一匹の茶トラ猫をよく見かけました。

この茶トラ猫はところどころに切り傷も見られ痛々しい姿を見るのは辛いものでした。

彼か彼女か分かりませんが、この猫が最も憎んでいると思われるのは最近やってきたボス猫だろうと思っています。

 このボス猫は大柄で「ここはワシのシマや。文句ある奴かかってこんかい」と言わんばかりのふてぶてしい顔をしています。

偉そうな奴がふてぶてしい面をしているのは猫の世界も変わらんなと思っていました。

 そんなボス猫にルサンチマンを積もらせていたであろう茶トラに先日会ったら、すごく身なりが綺麗になっていました。

見違えた姿にびっくりしていると、茶トラの後ろに猫がもう一匹。

多分恋人なのでしょう。

 なるほど、愛の力は偉大だなと思いましたが、身なりが綺麗になって自信が付いたのが先なのか一目惚れして努力したのが先なのか気になるところです。

 

 

【祝!小芝風花さんおめでとう】貞子がデラックスになって帰って来る 『貞子DX』

貞子DX

 すっかりとネタキャラと化した貞子の最新作。

そして4月16日が小芝風花さんの誕生日のようでこちらの作品を観ました。

以前観ようと思ってアマプラで危うく400円でレンタルしそうになった作品です。

現在アマプラで見放題なので早速観ました。

 IQ200の天才少女が貞子の呪いに挑むストーリーです。

感想は・・・

 

この一言に付きます。

 天才少女・一条文華が呪いに挑むという体のストーリーですが、呪いを主に解き明かしているのはSNSで彼女をフォローしているフォロワーの感電ロイドさんという方です。

あと貞子の呪い発動猶予期間が7日から24時間に短縮しています。

 ものすごい強化版になっていますが、対処法は呪いのビデオを24時間以内に観たら呪いは翌日に持ち越される仕組みのようでラストに和気あいあいと皆で観たりしています。

ソシャゲのデイリークエストやないかい!と思っていたら終わりました。

 途中からはもう「そういえばこれホラー映画だったな」と思い出さないといけないくらいには恐怖の欠片もなく、もはや何を観ているのかよく分からなくなりました。

 一つ気になるのは呪いのビデオを売買している海外ECサイトの英文に頭を捻ったくらいです。

Cursed video: I don't know what happens if I watchみたいな文だった気がします。

「観たらどうなるか分かりません」みたいな意味なのか天才少女に聞きたくなりました。

こんなしょうもないことを見る余裕があるホラー映画でした。

 

こんな夢をみた・・・から始まる黒澤作品 『夢』

 黒澤明監督の『夢』を観ました。

「こんな夢をみた」というナレーションから始まる短編が全8編収められたオムニバス作品です。

幻想的な作品からポストアポカリプスな作品まで幅広くジャンルを横断し中にはシュルレアリスム溢れる作品もありました。

やっぱり黒澤明監督は天才です。

いくつか取り上げて書いていきたいと思います。

 

狐の嫁入り

黒澤監督がモデルだと思われる少年が山の中で狐の嫁入りを見てしまうという幻想的な作品。

狐の嫁入りは霧の中をすり足でゆっくりと進む様子はなんとも幻想的ですが、少しセット感が溢れる箇所を見つけてしまいました。

少年が家に戻ると母親から狐の嫁入りを見たせいだと言われ短刀を渡されます。

ここはなんだか夢らしいやりとりのような気がしました。

 

・桃畑

こちらも少年が主役の幻想的な作品。

雛祭りに一人だけ知らない女の子が混ざっている事に気づいた少年はその子を追いかけて段々になっているかつての桃畑へ向かいます。

するとそこには公卿や女官の格好をした人々が雛壇に並ぶように彼を待っていました。

ここからは環境に対する黒澤監督の姿勢が伺えました。

 

・トンネル

戦地で抑留され引き揚げてきた中隊長が山の中を歩いてトンネルを抜けると後方から戦死した部下たちが舞い戻ってくる作品。

部下たちは皆青白い顔をして自分が戦死したことに気づいていないようで中隊を編成したまま中隊長の元に現れる姿は壮観です。

本作の中で一番好きな作品でした。

 

・鴉

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品を鑑賞している画家が実際に絵画の中に入ってゴッホ本人と邂逅する幻想的な作品。

ゴッホの絵画の中を歩くという映像体験は素晴らしかったです。

黒澤監督は絵画鑑賞するときにその中に入り込んだように見ていたのか気になり、もしそうだとしたらやっぱり天才は違います。

 

・赤い富士

原子力発電所6基がメルトダウンしたことで放射性物質が散布されてしまった中を人々が逃げ惑い、それを見守る富士山が赤く染まるのが印象的な有名な作品です。

チェルノブイリやスリーマイルなど原発事故が発生した当時の世相を反映しているような作品でもありました。

この作品の後に原発は深刻な事故が発生したり戦争で標的になったりと未だに安全面で不安が拭いきれないまま稼働していますが、この作品のようにならないことを祈ります。

 

・水車の村

近代文明から遠ざかった水車の村を舞台とした作品で本作のトリを飾ります。

ロケ地はおそらく安曇野で川の流れに沿って漂う水草が美しく目に焼き付きました。

笠智衆演じる川で野菜を洗うお爺さんがいい味わいを出しています。

そして余韻の継続もまた心地良いです。

 

『夢』が実質的に黒澤監督の遺作であったのではと思う一作でした。

ヌーヴェル・ヴァーグの名作『気狂いピエロ』

気狂いピエロ

 

 タイトルにがっつり差別用語が入っているゴダール監督の『気狂いピエロ』を観ました。

タイトルは『ピエロ・ル・フ』などに今後改題されるのかどうかは分からないけれど、人前で言うには勇気がいるタイトルです。

原作はアメリカの作家・ライオネル・ホワイトの『オブセッション』で2022年にこちらの原作が邦訳されたそうです。

 本作の主役・フェルディナンは妻と共に行ったパーティーから自宅に帰るとかつての恋人・マリアンヌがベビーシッターとして目の前に現れます。

その後フェルディナンはマリアンヌのアパルトマンにて共に過ごすも殺人事件に巻き込まれてしまい、盗んだ車で2人は南仏を目指す逃避行がテーマのロードムービーだと思います。

 全体的に青・白・赤とフランスのトリコロールカラーを基調にした色彩豊かな画面にB・ムービーチックな演出が節々に現れ、出てくる登場人物たちは何やら難しい会話をする。

即興的に撮られた映像なのにその全てがめちゃくちゃかっこよく、まるでピカソの創作ノートを眺めているような映像体験で「なるほど、これがヌーヴェル・ヴァーグか」と思った一作でした。

 マリアンヌ演じるアンナ・カリーナは元々モデルなだけあって衣装の着こなしがものすごくおしゃれです。

未だにファッション誌で取り上げられるのも分かります。

私はマドロスハットにTシャツとハイウェストパンツ姿のアンナ・カリーナが一番可愛いと思いました。

 2人の逃避行は行き当たりばったりでそこには計画性がありません。

逃避行中のオープンカーに乗って峠を降っているシーンではマリアンヌが脳天気なことをずっと喋っているとフェルディナンが突然振り返り

「ほらね。彼女は楽しいことしか考えてません。」

といきなりこちらに向かって語りかけられ、それに対してマリアンヌは

「誰に話してるの?」

フェルディナンは

「観客のみなさん」

と答えるメタフィクションな一連のシーンが私は一番好きです。

 ただこのような和気あいあいとした逃避行ではあるのですが、ゴダールの今後に繋がる政治に対する言及もところどころで見られました。

当時激化していたベトナム戦争に対してフェルディナンやマリアンヌは語ります。

気狂いピエロ』以前にもアルジェリア戦争を題材にした作品が検閲にひっかかり公開中止になった経緯もあったのに、この不屈の闘志は恐れ入ります。

 よく考えたら第二次世界大戦後も連合国側はあちらこちらで代理戦争をやっており、フランスもインドシナ戦争アルジェリア戦争と植民地で戦っています。

 ジャン=リュックはこれらの戦争を真摯に受け止め、マリアンヌというフランスの擬人化・自由の女神と同じ名前の女性をしれっと作品に落とし込んでいるのはだと感じました。

 そんな彼らにアンチ・アメリカなことを言わせているのはゴーリストに対する皮肉なのか

そう思うと結構政治的な作品です。