
『90年代サブカルの呪い』/ ロマン優光 2019
将棋やチェスで最も価値が低い駒(歩、ポーン)をぞんざいに扱うプレイヤーは余程の戦術や戦略がない限り勝手に自滅し詰んでしまう可能性があります。
歩が飛車先を突けるのは飛車が守っているからであり、ポーンがクイーン先を突けるのはクイーンが守っているからです。
このように最も弱い駒は同等の駒や強力な駒で防衛しながら相手陣に攻めていくものです。
後期の鬼畜系サブカルでは世の中のアウトサイダーたちを駒として扱い、彼らを利用する発信者たちはその駒たちを防衛する義務を捨てて盤外から眺めるようになります。
初期の鬼畜系は自分たちが盤の上で駒となり、対戦する相手は社会の良識でした。
そんな駒たちがスタンドプレイを行い、ある時は好手を指したりとしていましたが、個々の駒がそれぞれ動いていると大悪手が発生します。
その一つが神戸連続児童殺傷事件であり、ここで一気に風向きが変わります。
自分たちの悪ふざけを真剣に受け取るとんでもない奴がいることを思い知らされた作家たちは投了やリサインしなければなりませんでした。
しかし、ここで奥崎謙三という最も強い駒が登場します。
彼は将棋でいえば角行や飛車、チェスでいえばルークやクイーンのような盤上でゲームを左右するような圧巻のパフォーマンスを繰り広げます。
奥崎謙三は殺人未遂で服役した刑期を終えて出所するころには鬼畜系は社会の良識に対して完全に劣勢です。
そんなことは作家や消費者も分かっているものの最後の悪あがきのように奥崎は駒としてはタダ取りの動きをさせます。
鬼畜系の担い手たちは投了したも同然のゲームを続行し、奥崎は鬼畜系ブームが下火となった1998年に公開された『神様に愛い奴』という密着ドキュメンタリーで制御不能になりました。
奥崎謙三は一旦アナーキストに切り替わると何をやるか分からない底知れぬ恐ろしさを持った人物です。
彼に密着した1987年公開の『ゆきゆきて、神軍』では最後に殺人未遂を起こして、そのために服役していました。
制作者は奥崎をどこかで制御しなければなりませんでしたが、過激な人物の過激な行動が欲しいのでそのような措置は取られず、結果として妻を亡くした孤独な後期高齢者を面白半分でおもちゃにします。
ここでインターネットに舞台が移り、鬼畜系のカウンターカルチャーとしての精神が反転し、世の中の常識や良識を盾にした普通圏内から普通という規範から外れる人間をいじめて楽しむネット文化が誕生していきます。
アウトサイダー側に立っていた当初の鬼畜系作家たちはこの変容に愕然とし、鬼畜系の主要なライターであった青山氏は自殺してしまい、同様に活躍していた村崎氏は自宅にて刺殺される凄惨な幕切れです。
鬼畜系カルチャーの教訓は表現の自由はどれくらい消費者の想像力を想定しなければならないかということだと思います。
世の中には冗談が通じない真面目一辺倒でプライドが高い人間がおり、その真面目さをあらぬ方向に誘導しプライドを維持させるようなコンテンツを作ってはなりません。
テレビやネット番組が法令遵守(コンプライアンス)を念頭に置いて制作されていった経緯にも影響を与えていそうです。
しかし、こういう人間はネットで他人を嘲笑することに悦びを見出している。
そこにはカウンターカルチャーとしての鬼畜系文化の影響は何も残っていません。