
鈴木重吉監督作の『何が彼女をそうさせたか』を観ました。
貧困を理由に身売りさせられた澄子の不幸な人生を綴った無声映画です。
長らく行方不明であった作品だけあり、いくつかのシーンが散逸して残念なのがラストに澄子が教会を燃やすシーンが抜け落ちていることです。
澄子はどこかの村落から叔父を頼って線路沿いを歩いていると汽車が通り過ぎ、その中には澄子とほぼ同年代の修学旅行中の女学生が楽しそうに乗っているシーンもまた抜け落ちています。
以上のシーンが抜け落ちていなければ印象により残った作品であったと思います。
澄子の父親は失業と健康問題から自殺してしまい、彼女に保険金と思われるなけなしの遺産を持たせ叔父に向けて手紙を書いています。
しかし、彼女は字が読めないので父が自殺していることすら分かりません。
おそらく山深い村で家の手伝いなどで小学校にすら通えず、そのまま父を亡くしてしまったと思うと辛いものです。
公開当時に今作を観ていた観客たちは映画を見に行く余裕があり字幕も読める都市生活者が大多数だと思われるので、貧困にあえぐ農村で父を亡くした字も読めない少女のことをどういう目で見ていたのか気になるところです。
そんな彼女にはハイキーライティングで映し出し、そこから彼女の清らかな心を表現しているようです。
代わって叔父さんとその妻は若干ローキーライティングで映され彼女の手荷物から遺産を見つけて下品な笑いをあげています。
ここで叔父さんの妻を演じた女優さんの演技のうまさは素晴らしく、ほんとうに性格がめちゃくちゃ悪いのではないかと思ってしまうほどです。
以降、澄子は叔父さんに売り飛ばされサーカス団や県議会議員の女中などたらい回しにされていきます。
彼女も不幸続きというわけではなく、サーカス団で出会った似たような境遇の新太郎という青年とサーカス団を逃げ出し数年後に再会した後に同棲するようになります。
劇団員となった新太郎との幸せもつかの間、彼は経営難の劇団から解雇を言い渡され二人は心中するために海岸を目指す旅へ向かいます。
今作で幸せそうに生きているのは団員や女中に対し搾取に次ぐ搾取を行うサーカス団のプロモーターや県議会議員の妻や娘だけです。
この構図はプロレタリア文学のようで現代の視線から見ると単純極まりないものですが、公開時の1930年にはまだこういった表現を映画に落とし込んでも検閲に引っかかることがなかったようです。
おそらくこういった描写が姿を消したときが最も危うい状況なのだろうと思う作品でした。