ののの・ド・メモワール

その日観た映画や本や音楽の感想を綴ったりしています

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日記のように色々なこと(主に読書、映画、音楽)のアウトプットをしていきたいと思います。まれに雑記も書きます。
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セーヌ川左岸での2時間『5時から7時までのクレオ』

5時から7時までのクレオ

 アニエス・ヴァルダ監督作の『5時から7時までのクレオ』を観ました。

病院の診察結果を待つパリで活動するシャントゥーズのクレオ、彼女の夏至の夕刻5時から7時までを追ったストーリーです。

 作中と現実でほぼ同じ時間が流れるライブ配信のような作品で、目元が鋭くてかっこいいクレオを演じるコリンヌ・マルシャンのファンになりました。

映されているのはクレオの世界の見方が変わるまでの瞬間で、5時から6時頃までのクレオは診察結果に怯えていますが、それ以上に他人の視線に対して恐怖を抱いています。

 自分が世界に目を向ける時には、自分の世界に対する関係が築かれますが、そこに他人が介在すると自分という存在は他人に見られるものへと変わってしまいます。

他人とは地獄のような存在なのです。

クレオは1時間の中でこのように生きているようで、これはまさにジャン=ポール・サルトルの〈まなざしの相克〉です。

気になってウィキを見ると今作は実存主義の諸問題を扱っているようで、私が2番目に好きな哲学者のサルトルの主題が出てきてテンションが上がります。

本当に他人に見られているかもしれないと認識したら地獄にいるような気持ちになってしまいます。

 私も一度全く見知らぬ人に駅でジロジロ見られ何かを言われた経験がありますが、あの瞬間怖いもので、これは未だに何が原因で何か言われたのか分からないので尚怖いです。

なので私もクレオの気持ちは分かりますが、彼女の場合は病院の診断結果の件もあるのでかなりナーバスになっているのは伝わります。

5時から6時までのクレオは本質を掴めずに宙を舞う対他存在であるともいえるかもしれません。

外に出たら他人の目があり、内には深刻な病気が潜んでいいるかもしれないというかなり救いのない中でクレオがパリを放浪する様子は彼女が何かから逃げているようでした。

 そのようなクレオですが、一人で14区のパルク・モンスリで散歩をしている際に一人のアルジェリア帰郷兵・アントワーヌに出会います。

クレオはアントワーヌと出会い、他人から向けられるまなざしとは違うまなざしを向けられた時に彼女の世界の見方が変化していく最後のシークエンスは救いがあるオープンエンドで気持ちのいい終わり方でした。

クレオはアントワーヌに出会ったことで世界に今までとは違うまなざしを向けるのだろうと思いました。

 そしてアニエス・ヴァルダ監督はパリの人々にクレオを見つめるアントワーヌのまなざしを向けているようにも思いました。

作中に出てくるパリジャンやパリジャンヌたちは皆いきいきと人生を送っているように見え、彼らも5時から7時までをクレオと同様に過ごしているのだと伝わってきます。

そしてパリには横断歩道がなく、車がびゅんびゅん走る中パリ市民たちが横切っている様子はなんとなく大阪を思い浮かべました。

 また作中ではサイレントの短編映画が挿入されており、その短編にジャン=リュック・ゴダールが出演しています。

ゴダールが最初誰だか分からなかったのですが、ゴダールがサングラスをかけた時に初めて「これゴダール?」と認識したので私の中ではゴダールとタモさんは同じカテゴリに入っているようです。