今週ノーベル賞が発表されたことを今日知り、もうそんな時期なのかとびっくりしています。
本棚にも何冊か文学賞受賞者の作品があります。
そういえば読書のことをここ一ヶ月一切書いていないことを気づいたので書きたいと思います。
本棚に眠る文学賞受賞者の中からガルシア・マルケスの族長の秋を読んでいます。
族長の秋/ガブリエル・ガルシア・マルケス
端的に言えば独裁者《大統領》の物語です。
以下の気になった4点について書いていきます。
・独裁者のモデル
南米で独裁者と聞いてまず思い浮かべるのが私はフィデル・カストロ議長です。
しかしカストロ議長といえば演説がめちゃくちゃ長く個人崇拝を嫌い政権から退きたがるなど権力と権威を使って無茶苦茶をやる悪逆非道のイメージからは程遠い。
またカストロ議長とガルシア・マルケスは仲が良かったそうです。
その反対に無茶苦茶をやった独裁者がチリのアウグスト・ピノチェト大統領。
そして本作のイメージは確実にこちらのピノチェト大統領だと思います。
《大統領》という呼称からもそう思っても間違いではなさそうなので、もしかしたらピノチェト政権に対するガルシア・マルケスの抵抗なのかもしれないと思いながら読むことにしました。
・文体
次に気になったのが文体で一文がやたらと長いです。
会話文などは括弧で括られずそのまま文中に書かれその中で《大統領》の呼ばれ方もコロコロ代わります。
なぜこのようなスタイルを選んだのだろうと考えてみると、独裁政権下の緊迫感をずっと持続させるためなのかなと思います。
というのもこの《大統領》は側近を使い粛清を繰り返すような独裁者なので政権の側近や国民は息をつく暇などなく、もしかしたら今日か明日気まぐれで殺されるかもしれないという緊迫感を常に抱いていないということを表現しているのかもしれません。
・《大統領》の名前
本作に出てくる人物の中で唯一名前が出てこないのがこちらの《大統領》
というのもこの《大統領》は国民の前に顔を出さず200年近く国を統治しています。
もしかしたら《大統領》自身も名前を忘れてしまったのか、国民もその存在が本当にいるのかどうか疑わしいがためにこのように呼ばれているのかもしれません。
物語は大統領府にたかるハゲタカから始まり、バルコニーには牛が歩き回り、廊下にはフジツボがびっしり付いた死体が転がっているなど幻想的なイメージから始まります。
この描写は「やっぱりマジックリアリズムいいな」と再確認する素晴らしさです。