今週からすさまじい寒さで日本海側ではものすごい積雪だとニュースで知り、私はボランティアで雪かきしたことを思い出しました。
そのボランティアは朝から始まりまずシャベルで歩道の雪を掘り進め、歩道が凍りつかないように塩化カルシウムをばらまく作業を延々と正午まで続けたのですが私が取り除けた雪の量は歩道の約10m程度でした。
午後から私は農業バインダーみたいな除雪機を使って雪かきをしました。
これが楽すぎてシャベルであんなに頑張った理由はなんだったのかとボランティアの担当者に聞きたかったです。
「やっぱり機械には敵わんな」と思いながら除雪していました。
そして安部公房の機械と人間についての短編・R62号の発明を読みました。
・R62号の発明 安部公房
会社から解雇された元自殺志願者で死人として扱われ改造されてしまったR62号くんについての短編。
しかしR62号くんは自殺を決行していないのでまだ生きているけれど契約書などにサインしたことで名目上死んでいます。
R62号くんは自殺寸前に改造手術を行う研究所のアルバイトに捕まるので、あのまま介入がなければ間違いなく死んでいました。
社会から見れば既に死んでいるけれど、生物として見ればまだ生きているなんとも曖昧な存在でこうなると生死の区別は誰に委ねられているのだろうと思ってしまいました。
こうしてR62号くんは脳を手術され感情を切除されてしまいます。
アンテナ越しで完全に操れるようになり一切文句の言わない労働ロボットに生まれ変わりました。
この作品が発表された当時は頭にアイスピックを前頭葉に刺してくちゅくちゅいじるロボトミー手術がまだ禁止されていない時代なので当時の人はこの描写に震え上がったことと思います。
人間と機械を区別するのは感情であるとも読み取れ、こちらは社会がオートメーション化され学習能力ではAIに敵う人間が圧倒的に少ない現代の方がより身近に感じます。
こうなると人間の優位性もいつか崩壊に向かい、機械が「人間のために働く意味ある?」とターミネーターみたいな未来が来るのか来ないのか。
感情というのは社会生活を営む上では煩わしいものですが、機械がこれほど能力を飛躍的に伸ばしている今こそ目を向けるべきなのかもしれません。