最近数年前の未来予想記事をGoogleで検索して読み漁っているのですが、これが結構楽しい。
結論から言うと、このような未来予想などの記事は話半分で読むのが一番だと思ったことです。
特に不安を煽るようなものなどは「はいはい当たればいいね」と深刻に考えない姿勢じゃないと精神衛生上よろしくありません。
例えば昨年の今頃に世間を大いに賑わせたNFTアートやメタバースやweb3.0などのバズワードの記事を読むのは楽しいです。
NFTはネットに産業革命を起こす!と大言壮語なことを述べられていた訳ですが、その矢面に立っていたNFTアート市場は現状ゴールドラッシュで掘り尽くされた金鉱のような様相を呈しています。
web3.0はインターネットをビッグテックから解放する!という予想も結局web3.0がなんなのかよく分からずにフェイド・アウェイしそうな勢いです。
メタバースもメタ社やディズニーが撤退してしまい世間に飽きられる中で有志がコツコツ開発するという理想的な環境になるかもしれないので頑張ってほしいものです。
このように一年前の予想ですらこの有様――もしかしたらその過程の最中なのかもしれないけれど――で4〜5年前の予想なんてもうめちゃくちゃです。
お粗末なこれらの記事を読んでいるとフィリップ・K・ディックやアイザック・アシモフや小松左京や筒井康隆や藤子F不二雄の先見性がいかに天才的か再認識してしまいます。
しかしこの名だたる名作家のような壮大で先見性に満ち溢れた予想はできませんが、ネット記事くらいの予想は私にも出来ます。たとえば
”21世紀の中で地球に隕石が落ちて被害が出る可能性があります。”
隕石は地球に年間約500個ほど降り注いでいるらしいので、あと80年の内に1個くらいたまたま人の近くに落ちてその人が擦り傷を負うかもしれません。
こんなことが起こるのは天文学的確率ですが未来のことなので絶対起きないとは言えない。
しかも「可能性があります」とぼかして宣言しているので被害があったら「ほれ見たことか」、なかったら「よかった。よかった。」で終わります。
これがNASAの発表ならビビりますが私は何でもないただの凡人なので何の責任もありません。
これで「被害に合わないようにシェルターを買え」とか「隕石から身を守る私が作ったパワーストーンを買いなさい」とか言い出したら問題ですがインターネットにはこんな人間が溢れています。そして買ってしまう人もいます。なんで買うのか
未来予想というのは人間には難しい話ですが、機械はどうなのでしょうか?
安部公房はそれを約60年前に考えました。
未来を予測するコンピューター《モスクワ1号》に触発された中央計算機研究所の勝見博士は国産化を目指し見事に成功させます。
ちなみにモスクワ1号は人工知能搭載モデルで勝見博士が国産機を開発した頃には既に2号機が出るほど急速な進歩をソ連は実現させていました。
そのような中でアメリカが「こういう機械はよろしくない」と苦言を呈して役人の事なかれ主義に巻き込まれ国産機の運用が白紙状態になってしまう中、どうすればいいか機械に聞いてみると一人の人の未来を予測するようにアドバイスするところまで読みました。
まだまだ序盤なのですがやっぱり安部公房はとんでもないです。