あらすじは牛飼いをするアープ4兄弟がたまたま立ち寄ったアリゾナ州トゥームストーンにて、アープ家の次男・ワイアットが酒に酔って暴れるインディアンを撃退したことで町長から保安官にならないか誘いを受けます。
その誘いを断り牛の見張りをする弟・ジェームズの元に戻ると彼は殺され牛を盗まれてしまいます。
弟を殺した犯人を捕まるためにアープ兄弟はカウボーイから保安官へ。
トゥームストーンには賭場の元締めで銃の腕前と元医者として知られるドク・ホリデイや牛の元締めをするクライトン・ファミリーといった癖者たちと対峙します。
原題『愛しのクレメンタイン』に出てくるクレメンタインとはドク・ホリデイを探してボストンからトゥームストーンへやってきた女性で、ワイアットは彼女に次第に惹かれていきます。
過去に何があったかは分かりませんが彼女に会って動揺しながら自室に籠もり壁にかかっている学位記を眺めるドクはそれにショットグラスを叩きつける一連のシーンがあります。
これだけで過去を語らずして2人の間柄を想像させるジョン・フォード監督の演出は最高です。
この作品はアウトロー相手に銃を撃ちまくる西部劇というよりトゥームストーンで暮らす人々を通して西部開拓時代を捉えたヒューマンドラマのようにも思えました。
また公開当時の1946年は世界大戦でアメリカは日独に勝利しアジアとヨーロッパに多大な影響を与えるようになり、ブレトンウッズ体制を構築し国連では常任理事国と大英帝国を抑え世界一の大国の座に収まりつつあります。
そのような歴史的な事情を考えるとワイアット・アープがアメリカの化身のようにも思えてしまいました。
この作品のワイアット・アープは騎士道精神に清教徒的倫理観を併せ持つ非常に高潔な人物です。
彼は弟殺しの嫌疑がかかったドク・ホリデイを怒りに任せて殺したりもせず、OKコラルの決闘にて弟を殺した主犯のオールドマン・クライトンに自首を促したりと卓越したガンマンとしてのスキルに頼るのは最後の手段と言わんばかりに銃を抜きません。
そして彼を取り巻くトゥームストーンの平和な日常をこの作品の大部分を占めており、西部劇娯楽映画というよりは西部開拓のドキュメンタリーのようです。
酒場でウイスキーを飲んだりポーカーをしたりボストンの令嬢とパーティーでダンスをしたりと映されるのは伝説の保安官ではなく等身大の保安官ワイアット・アープのように思います。
「西部開拓時代にアウトローたちがあちこちで暴れて至る所で力を誇示していたら合衆国はこんなに偉大になっていたか?アープだってちゃんと人生を謳歌してたんだじゃないか?」と観客のアメリカ人に疑問を投げかけているようです。
またワイアットにとってトゥームストーンは弟が殺された忌避する存在ではなくクレメンタインや街の人々に出会った愛すべき存在です。
過去よりも今に目を向けて生きていこうというメッセージが込められ『愛しのクレメンタイン』というタイトルになったのかもしれないけれど、これでは西部劇と分からずお客さんが入らないと判断されたために『荒野の決闘』になってしまったのでしょうか?
リバイバル上映では『いとしのクレメンタイン』とちゃんと本作遵守なタイトルに代わっているようで喜ばしいことです。
映画であれ音楽であれ私は過去に付けられた訳のわからない邦題は全て原作を尊重して改題すべきだと思います。
この作品がその足がかりになってくれるかも?
なにはともあれ大統領選を前にアメリカ人には本作を観てもらいたいものです。