ののの・ド・メモワール

その日観た映画や本や音楽の感想を綴ったりしています

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日記のように色々なこと(主に読書、映画、音楽)のアウトプットをしていきたいと思います。まれに雑記も書きます。
実用的なことは書けませんがよろしくおねがいします

はじめての溝口健二監督作品『残菊物語』

残菊物語

 溝口健二監督の作品を初めて観ました。

 カメラはある時はパンやティルトやドリーをしたりと縦横無尽に動いたと思ったら定点でじっと対象を捉えたり、ロングテイクが多いためカット数がかなり少なくショットサイズも大体セミロングかフルであり一作しか観ていませんが溝口監督のスタイルが少しだけ掴めたような気がします。

 人物の表情を捉えたショットが思い浮かばないくらい、登場人物たちは常に全身が映っています。

こうなると演じる俳優達は体全体で表現しないといけないため演技をごまかすことが難しそうで大変だと思いました。

このようなスタイルのためか作品全体がとても絵画的です。

 音羽屋の若旦那・尾上菊之助はいまいち芸に身が入らずに日々稽古や舞台に立っていました。

その様子を舞台の袖で見守り忠告し励ますのは奉公人のお徳で菊之助は勇気付けられ次第に彼女に惹かれていきます。

 2人の関係は周りから反対され遂にお徳は帰郷を命じられてしまいますが、菊之助は会いに行きます。

田舎に引っ込んだお徳の前に現れ「僕はお徳さんに芝居を見せたいと思って舞台に立っているんです」と告白するシーンは感動しました。

 もし愛に形があり、この世にいる人々をそれを与えるか受け取るかどちらかの要素が強く示されるとして人々を大雑把に二通りに分けた時にどのペアが一番上手くいくのだろうと前から頭の片隅でなんとなく考えていました。

 与える人と受け取る人のペアが一番上手くいきそうにも思えたのですが、これは時が経つと双方なかなか辛い状況になってしまうと思います。

まず与える側は常に与え受け取る側は常に受け取り一方的なやりとりにどちらかが耐えられなくなるでしょう。

 受け取る人同士はもうペアと呼んでいいのかよく分かりませんが、このペアが上手くいきそうな解決策が思いつきません。

 ということで最後に残った与える人同士のペアが私としては最も理想な愛の形であると思います。

そしてこれはまさに菊之助とお徳の関係そのものであると私はこの作品を観ているときにずっと思っていました。

 菊之助はお徳のために稽古と舞台に立ちお徳は菊之助のために時に献身的に時には批判的に彼を支えます。

このように与え合う2人だからこそ苦難の中を共に歩んでいけたのだろうと思う反面あまりに与えすぎるのもどうなのかなと思ったり。

難しい問題です。