安部公房短編集『R62号の発明・鉛の卵』収録の『犬』を読みました。
あらすじは美術研究所に勤める画家のぼくが結婚相手のモデルが連れてきた犬と闘うというものです。
今作の面白いところは人間と動物の主従関係が途中から対等になり、果てに両者の関係が拮抗する闘争へと発展してしまう過程にあります。
犬という見下していた存在がいきなり自分に対して話しかけてきて画家は立っていられないほどに驚き、犬に許しを請うほどに狼狽します。
今まで両者の間には動物と人間の垣根があり、画家は安全圏から見下すことが可能であったわけですがその垣根を侵犯されたら恐怖に支配され何もできなくなってしまう画家の姿と垣根を超えて犬という共同体から脱出し人間の方へ歩み寄った犬の姿、どちらが優位であるかは明白です。
ただ私は画家の行動をバカにはできません。
これから虫が大量に出てくる季節になってくるので、想像したくありませんがもし虫が喋り出したら私も画家と同じ行動を取ります。
最後まで読んだ後に「これは本当に犬だったのか?」と疑問に思いました。
作中に現れる犬の描写が最初から犬というより人間のようで、結婚相手のモデルは人間のような犬のように描写されています。
この発想の転換についてあまり深く考えず、感じることに意識を向けてアバンギャルドを感じています。
でも人間より頭良さそうな顔した犬って結構いますよね。