ののの・ド・メモワール

その日観た映画や本や音楽の感想を綴ったりしています

閲覧いただきありがとうございます。
日記のように色々なこと(主に読書、映画、音楽)のアウトプットをしていきたいと思います。まれに雑記も書きます。
実用的なことは書けませんがよろしくおねがいします

ニューヨーカーたちの恋模様『マンハッタン』

マンハッタン

 ウディ・アレン監督の『マンハッタン』を観ました。

アニー・ホール』『インテリア』と名作を立て続けに発表した後のニューヨーク・マンハッタン島を舞台にした4人の男女を描いた作品です。

ニューヨークで生まれ育ち映画の舞台にしてしまうなんてウディ・アレンの凄まじい地元愛を感じます。

 生粋のニューヨーカーが撮っているためかエンパイア・ステート・ビルやセントラル・パークやタイムズ・スクエアのような分かりやすい観光地はほとんど出てきません。

地元民じゃないとこのような大胆な選択を取るのは難しいと思ってしまいました。

もし外部の人が撮るとしたらやっぱりタイムズ・スクエアに赴き「ここはニューヨークです!」と示すためにカメラを向けたくなってしまうでしょう。

その欲求と戦うのはなかなか大変だろうと思います。

 本作で一番印象深く撮られている夜明け前にベンチで2人腰掛け橋を見つめるショットに映る橋はクイーンズ・ボロ・ブリッジという初めて聞く橋でした。

おそらくウディ・アレン自身のお気に入りスポットで地元の人しか知らない隠れた名所なのでしょうか

私が無知で実はクイーンズ・ボロ・ブリッジがすごい有名な可能性もありますが。

 テレビ番組の脚本家でいかにも気難しそうなインテリのアイザックとまだハイスクールに通う17歳の彼女トレーシー、そしてその年の差は25歳。

アイザックの友人で大学で講師を務めるイェールとその浮気相手メリーの4人たちの物語です。

 二組のカップルはダブルデートを行った際に、メリーはべらべらとスノッブめいたことを喋ったことでアイザックのメリーに対する第一印象は最悪。

アイザックは「次にベルイマンを馬鹿にしたらぶん殴る」と愚痴をこぼすほどに憤ります。

 ただメリーと二度目の再会を果たしたときにはイェールの前で自分を取り繕っていたことに気づいたアイザックは彼女に惹かれていきます。

そして2人はマンハッタンのクイーンズ・ボロ・ブリッジを眺めながら共に語り合います。

ここで私はメリーとの二度目の再会とは気づかずに「あの橋でベンチに一緒に腰掛けた人はあれで登場終わり?」と思いながらずっと観続けていました。

すごいヘアアレンジや雰囲気が変わっていたので本当に分かりませんでした。

ストーリーの流れを考えたらあれはどう考えてもメリーですよね?

メリー役のダイアン・キートンが撮る角度によって全然違う人に見えるのも多少影響があるのでしょうか?

もう一度観ると確かにダイアン・キートンでした。

 モノクロで映し出されるニューヨークとウィットに効いた会話の数々をまた吟味するついでにダイアン・キートンのヘアアレンジに気をつけながら深夜頃にまた観たくなる作品でした。

 

 

すごく好きな邦画『ほつれる』

ほつれる

 加藤拓也監督作兼門脇麦主演作の『ほつれる』を観ました。

もしかしたら『レア・セドゥの偽り』みたいに『門脇麦のほつれる』みたいな呼ばれ方をする作品になるかもしれません。

『レア・セドゥの偽り』観たことないけど、そんな気がするくらい名作です。

夫婦仲が冷め切った中で不倫相手が事故死してしまった女性のその後を描いた作品です。

 この作品なんと驚くことにスクリーンサイズがスタンダードサイズなのです。

これには私もめちゃくちゃテンションが上がり「うおー!スタンダードサイズだー!」と心躍っていました。

まさか令和の時代にスタンダードサイズの作品が観られるなんて感無量です。

もうこの時点で100点満点中65点くらい点を取っています。

 そして次に気づくのは徹底されたロングテイクとライティングの上手さ。

ライティングは特に昼間の撮影が素晴らしく「いやー、最高やん」と思いながら観ていました。

ただその反面夜間はうーん・・・

 そして本作にはストーリーというストーリーもなく、登場人物たちは名前すらほとんど出てきません。

一応綿子や文則といった役名はあるようですが、ビリングにも役名が出ていなかったのでただの記号として名付けられているという印象です。

そしてこれはもう私の好みの作品です。

 またカット数もものすごく少なく、そして節々に感じるエリック・ロメール監督への敬愛を感じるカメラワーク。

最近の邦画監督はエリック・ロメールが好きな人多いのでしょうか。

 すごく良い作品なのですが、セリフだけがちょっと気になりました。

というのも全編に渡りセリフの調子がずっと同じなので、全体的にやや冗長に感じてしまいました。

 個人的にはもうちょっと映像を堪能させてもらえたらと思い、これが本当に私にとっては口惜しい限りです。

セリフのヴァリエーションとダイアローグカットがもうちょっと多かったら20年代の邦画でぶっちぎりで好きな作品になっていました。

がしかし、現状でも私的20年代邦画ランキングではかなり上位に位置しています。

 

ブギーマン氏の華々しいデビュー作『ハロウィーン』

ハロウィーン

 ジョン・カーペンター監督の『ハロウィーン』を観ました。

6歳の頃に迎えたハロウィーンにて実の姉を殺し、15年間を隔離病棟で過ごしたマイケル・マイヤースことブギーマンが再び街に繰り出し殺人を行うホラー作品です。

ブギーマンが舞い戻ったのは姉を殺した日と同じハロウィーンでした。

 そんな彼の標的は基本的にハイティーンの女子高校生たちで、なかなかの気持ち悪さです。

ローリー、アニー、リンダの3人の女子高生達がブギーマンに襲われるというのが本作のストーリーですが、序盤ではブギーマンはほとんど姿を見せずに彼女たちをストーカーします。

 ブギーマンが何を考えているのか分からないところが本作の怖いところで、彼女たちの前に一瞬現れたり遠目から眺めたり襲ってくるタイミングが全然分かりません。

殺人の動機もよく分からない異常者にストーカーされるというだけでも十分ホラーです。

 そして理由は分かりませんが、ブギーマンは3人の中で一番真面目なローリーに狙いを定め彼女を付け回します。

ローリー以外の2人も魅力ある人物に描かれているので彼女たちがこの先殺されると思うと辛かったです。

 おそらく3人の人物像は当時のアメリカにいる一般的なティーンエイジャーがモデルなのだろうと思い、この作品が元祖なのか分かりませんがカップルが惨殺されるシーンがいくつかありました。

 そして舞台もアメリカの都市圏にどこにでもありそうなサバーブであり、これらのことからハイティーンのカップルに向けて映画が製作されている気がします。

ただのスプラッターホラーではなく、実はしっかりとマーケティング戦略が練られた作品であることが伝わりました。

 そのような戦略のためかスプラッターシーンはレイティングに引っかからないようにものすごく控えめです。

まずブギーマンが襲ってくる時間帯を夜中にすることで闇に潜む訳のわからない殺人鬼・ブギーマンを演出し殺人シーンは牛刀で一刺しで終わらせる簡潔さ。

 多分こういうところで映画館で観ているカップルは手とか握ったんだろなと思い、「あのホラー映画観たら〇〇ちゃんと手つなげた!」のような口コミが広がりそして大ヒット作品に本作はなったのでしょう。

 そしてブギーマンの耐久性も尋常ではなくナイフで刺されても銃弾を撃たれても死にません。

これはきっと続編製作のためだと私はカーペンター監督の意図を感じ取りました。

実際13作品も製作される大ヒット・メディア・ミックス作品へ成長し大量のフォロワーも生み出し結果は大成功です。

 カーペンター監督はインディペンデントホラーを作り興行収入を稼ぐには一部のホラーマニアよりも大多数のミーハーに向けて作った方がいいと気づいていたのでしょう。

ただこの作品はホラーファンもしっかりと楽しめる演出が数々施されているので決してホラーファンを切り捨てたりはしていません。

まさに奇跡のような作品でB級ホラー映画界のレジェンドはやっぱり格が違いました。

 

いつの間にか3月になってセンバツが始まっている・・・

 

 気づけば今年が始まり早3ヶ月が経ち、いつの間にかセンバツ高校野球が始まっていることに驚いています。

今年のセンバツには我が地元・兵庫代表は未出場だと思っていたら報徳学園ががっつり出場していて、しかも去年に決勝戦まで進んでいることに尚驚きました。

 ということで久し振りの雑記は私のスポーツ観戦スタイルを書きます。

まずはチームスポーツから書くとスポーツ大会の場合、私は大抵初出場のチームを勝手に応援しています。

パワプロでいったら帝王実業よりバス停前高校を応援しているような人間です。

なのでセンバツに限れば地元よりもまず21世紀枠を応援しています。

観れたら観るけれど録画するほど熱心には観ていないので応援しているといっていいのか分からないのですが。

 国際大会などもほぼ同様なのですが、FIFAワールドカップだけは異なり毎回ポルトガルセネガルを応援しています。

このように大国・強豪アンチと化しているので基本的に日本代表はスルーしています。

別に応援しなきゃいけない義務とかないし別にいいですよね・・・?

 次に個人スポーツのことを書きたいのですが、私はエクストリームスポーツ以外の個人スポーツに全く興味がないのであまり書くことがありません。

エクストリームスポーツはもう応援の次元を超えて「すげー・・・」と思いながら観戦しているので何を書いたらいいのか思いつかないので最近観るのにハマっているマウンテンバイクのダウンヒルレースについて書きます。

 YouTubeにはダウンヒルレースに出場している選手がゴープロを装着しレース中の様子を捉えた動画が多々あります。

これが本当にすごいです。

思わず声が出てしまう動画ばかりで時間を忘れ見入ってしまいます。

あと絶景の中をマウンテンバイクで駆け抜ける様子も癒し?になり一度で二度美味しい素晴らしいスポーツです。

 他にもサーフスケートボードダウンヒルを行っている動画も観ています。

こちらも絶景の中をすごいスピードで下っていく様子は爽快感と感動を与えてくれます。

そして今、1年の時の流れがダウンヒルを行っているくらいに感じています。

空想の中で生きていきたい・・・『8 1/2』

8 1/2

 フェデリコ・フェリーニ監督作の『8 1/2』を観ました。

 本作の主人公で映画監督のグイドは次回作に追われる過労で体を壊し湯治へ赴き現実と幻想の中に身を浸し続ける作品です。

ここまでならなんだか川端康成の『雪国』のような雰囲気ですが、本作ではグイドが次回作を撮らないといけない現実から逃れるように彼の空想が映像に出てきます。

 グイドはスーツに縁メガネをかけボルサリーノハットを被りびしっと決まっているまさにイタリアの伊達男です。

スーツはアルマーニなのでしょうか?じゃあメガネはグッチ? とにかくおしゃれです。

 ただこのかっこいいグイドの姿がはたして本当のグイドの姿なのか疑問に思ってしまいます。

というのも診断を受けている彼の容姿が記憶の限り撮られていないと思うので私は疑っています。

 グイドは医師に勧められた療法のためにミネラルウォーターを汲みに湯治場近くの泉へ出かけると大多数の高齢者がミネラルウォーターを求め大行列をなし機械的に水を汲み上げコップに入れる若い女性たちを捉える一連のシーンはなんともアイロニカルです。

他に大型サウナ施設でムッソリーニのような指導員に番号で指図される湯治場の人々などなかなかフェリーニ監督は皮肉の切れ味が鋭いです。

 そして湯治場で出会う様々な女性たちはまるでグイドの頭の中にあるアイディアのメタファーのようにどんどんと登場します。

誰が誰やら途中から分からなくなりました。

芸術家の頭の中を擬似体験しているかのように場面があっちへ飛びこっちへ飛びと節操がありません。

「もう妄想の中で生きたい」と言いたいかのように次から次へと空想を生み出し、その中へ彼が逃れる様子はグイドが次回作を如何に作りたくないかが伝わってきます。

 その中でグイドがカトリックの神学校に通っていた少年時代の頃を空想していると思われるシークエンスでは浜辺に住む巨大な女性のダンスを観たことが神父にバレて屈辱的な思いをしたエピソードが出てきます。

おそらくこの巨大な女性は映画のメタファーだったのだろうなと本作を観終わってから思いました。

 しかし非情ながら現実はどんどんと迫ってきます。

遂にはあまり関係がよろしくない妻が湯地場に来る始末になり、グイドはますます空想の中に引きこもっていきます。

「嫌だ 現実なんか見たくない!」と遂には女性たちと共に空想の中で籠城しますが、プロデューサーや出資者に急かされいよいよ現実と対峙することになります。

グイドが死ぬほど撮りたくない映画はSF映画でした。

 彼は本心では真実を語る映画を撮りたいと切に願っていたのに現実では虚飾にまみれたSFの駄作を撮らないといけない。

現実と理想を上手く折り合いがつけられないグイドは最後に全てを放棄してしまいます。

 これはグイド本人の死なのか映画監督としての死なのか

全てを受け入れた後者であってほしいと思います。

芸術家の頭の中はこういう風になっているのだろうなと思う一作でした。

最近お茶漬けを食べていません『お茶漬けの味』

お茶漬けの味

 蓮實さんの著書『監督・小津安二郎』を読んでいると説話論的という謎のワードが頻出しググってみてもよく分からず、とりあえずこのワードのことは保留し読み進めていくときっとナラティブみたいな意味なのだろうと独自解釈することにしました。

 小津作品のナラティブ性は脚本家の野田高梧と組んだ晩年の作品に強く現れている気がします。

 それではストーリーとナラティブの違いとは私にとって何なのか?

ストーリーは著者本人がナラティブでは登場人物達が物語を紡ぎ語っているものと私は思っています。

 前者だと登場人物の中に主要な人物が物語を進めその周辺の人々は脇役ということになり、後者ではその枠組が非常に曖昧であり登場人物達ほぼ全てに焦点が当たり彼らそれぞれの物語があるものだと思っています。

 ストーリーの場合だと要約することが可能ですが、ナラティブの場合だとなかなかそうはいきません。

 そんなことを考えながら『お茶漬けの味』を観ました。

今作は『麦秋』の翌年『東京物語』の前年に製作された名作に挟まれた佳作という立ち位置で影の薄い存在だと思います。

でも私は小津監督の構図至上主義が少々薄まり内容も緩い作品なので結構好きです。

 そして前年まで娘の婚約が主題の作品を小津監督が手掛けていたので本作もその系統だろうと思っていたら、その予想は間違っていました。

この作品が佐竹夫妻の物語であることに気づくのは私の場合では作品のかなり後半でした。

 今作はお見合い結婚で結ばれ、育った環境や価値観の違いなどで夫婦仲がギクシャクしている中で、佐分利信演じる茂吉が海外出張する前に木暮実千代演じる妙子と夜食にお茶漬けを食べて夫婦の溝を食事をすることで修復するシークエンスから妙子の姪・節子がデートするシーンで物語が閉じます。

最初に観た時はすごく不思議な終わり方に思えてなりませんでした。

晩年の小津作品の特徴だと個人的に思っている登場人物たちの物語がそれぞれ網状に語られる傾向が今作ではかなり顕著であると思いました。

『晩春』や『東京物語』だと原節子の存在感のためにその並列に存在する物語を意識することはあまりないのですが。

 なので私は登場人物たちは全員が並列的に語り手として本作に現れていると思いながら再度観てみると大変ユーモアに溢れた作品です。

特に佐分利信が素晴らしいです。

彼の外にいる時のいかにもエリートという風格から家庭でそのヴェールを脱ぎ質素に暮らす姿はなんとも愛らしいです。

彼は赤いやかんで有名な『彼岸花』でも似たような役柄で出演していて、笠智衆とはまた違った父親像を添えています。

 印象に残るのは節子がお見合いをすっぽかして茂吉たちと共に競輪やパチンコへ行って遊ぶ小津作品の自由さを象徴しているシークエンスです。

競輪やパチンコへ行く女性をこのように瑞々しく撮れる人は現代にもいるのだろうかと思ってしまいます。

 もしかしたら70年の月日でパチンコに暗示的意味が降り積もってしまったのか

またパチンコ店を営む店主・平山役で笠智衆が出演しています。

笠智衆が登場した時に私はヴィム・ヴェンダースが『東京画』を撮る前に本作を観たのだろうとなと思いました。

 この作品ではロケ撮影が多く当時の東京の様子がよく映ります。

その中でもパチンコは何かを示しているように登場人物たちによって言及されます。

パチンコについて妙子の友人・アヤは「あれやった?ぱちんじゃらじゃら」とパチンコ玉を弾くジェスチャーと共に楽しそうに語ったり、茂吉は「大勢の中で一人になれる。幸福な孤独だな」と言ったり節子はハマってものすごく勝ったことを茂吉に伝えたりとその存在は顔を出します。

ただ平山は「こんなもんが流行るのはいかんです。」とパチンコ店を開いたことを後悔したりと多分ヴィム・ヴェンダースも気になって仕方なかったのでしょう。

 ロケ撮影では皇居周辺の様子も捉えられ私は空の広さに驚きました。

ここからどんどんと都心には超高層ビルが林立し見上げると必ずビルが見下してくるようになりますが、都心から離れると東京の本来の姿が見えてきて私はそちらの東京の方が好きです。

 

 

ツッコミどころ多めなホラー?映画『貞子』

 

貞子

 

 ジャパニーズホラー映画のアイコン的存在・山村貞子が出てくる『貞子』を観ました。 

 本記事とは関係ないのですがフランス語にmauvaisという単語があります。

酷いや粗悪といった意味の形容詞で発音はモーヴェと英語のムービーに似ています。

ということで本記事はクソ映画の代わりにムービー・モーヴェとおしゃれな感じで書いていこうと思います。

 最近の私は映画鑑賞で名作ばかり観て目が肥えに肥えてしまってムービー・モーヴェを観ないといけないという謎の使命感に陥っていました。

また少し緩急をつけないと名作ばかり観て冒険をしなくなってしまうと焦っていたところで今作を見つけました。

 ただ私はこちらではなくマツコ・デラックスみたいな題名の方が観たかったのですが、そちらはレンタルで400円とハイユニの鉛筆2本分の価格に躊躇してしまい仕方なしにこれを観ました。   

 東京都多摩市の沼田団地にて焼身自殺による火災で5名の犠牲者が発生し、沼田団地は心霊スポットとして有名になります。

バズるためにここで肝試しをし動画をアップすることを思いついたユーチューバーのファンタスティック☆カズマは動画を撮り終えた後に突如姿を消します。

ファンタスティック☆カズマの姉で臨床心理士の秋川茉優は彼を救いにいくことを決意するのでした。

 多分それがこの作品のストーリーの本筋だと思うのですが結果をいうとファンタスティック☆カズマは助かりません。

ファンタスティック☆カズマが助からないのなら本作の1時間40分は何だったのかと呆然としています。

 しかも本作の貞子は私が知っている山村貞子じゃなくてびっくりしました。

私が知っている山村貞子は特殊な能力を恐れた父親によって井戸に落とされ、怨念を積もらせた末に呪いのウィルスとなりビデオを媒介に人々に感染するかのように襲いかかる畏怖する存在としての貞子です。

 しかし本作の貞子は正直そっくりさんといってほしいくらい別物です。

リングの貞子がイチローだとしたら今作の貞子はニッチローといえるくらいの別人ぶりです。

せめて威厳くらいは保ってほしかった。

こんな雑魚キャラに成り下がった貞子なんて・・・。

 沼田団地の焼身自殺に触れると何故かは分かりませんが二代目貞子を襲名したっぽい少女の貞子ちゃんを恐れた能力者の母親が部屋にガソリンを撒いて一緒に死ぬことを選ぶのですが、そこに先代の貞子が穢土転生され二代目貞子ちゃんを助けにくる激アツ展開を迎えます。

しかし、ここからさくっと2分くらいでこのシーンは終わります。

 そしてこの二代目貞子ちゃんはラストにどうやら貞子ではなく普通の少女のようであったといわんばかりに改心した様子で現れます。

貞子との関連性がいまいち分からない謎の少女でした。

この少女に1時間近く費やした意味はなんだったのか? ここが一番ホラーです。

私が思うにこの少女は貞子にとってジョジョに出てくるしげちーのハーヴェストやミスタのセックス・ピストルズのような群体型スタンドの一個体のような存在で、つまり貞子はスタンド使いです。

 あとはなぜか水溜りボンドがゲスト出演しているくらいしか覚えていません。

水溜りボンドと友達ならファンタスティック☆カズマは心霊スポット行かなくてもなんとかなったんじゃないか?と思ってしまいました。