関西は梅雨入りし傘を手放せない時期になりました。
私は雨がそこまで嫌いではなく、むしろ雨が降る音に癒やされるのでこの時期は好きです。
休日に一日中家にいてもいい理由の一つになってくれるのもありがたいです。
でも唯一我慢できないのはカビ。もうこれだけは本当に勘弁してほしい。
そんな雨の一日に観るよりは、夏の夕方に誰かと観たい映画を観ました。
こちらです。
Café Lumière となっていますが邦題は珈琲時光です。
時光の意味をググってみると暖かい時間という意味らしいので
コーヒーを嗜む暖かいひと時か仏題に即すとカフェに差し込む暖かい光となるのかな
この作品は小津安二郎生誕100年記念の作品であり、監督はホウ・シャオシェンです。
ホウ・シャオシェン監督は前々から気になっていたのでやっと観ることができました。
・珈琲時光 ホウ・シャオシェン
【あらすじ】
東京でフリーライターとして働く洋子は、高崎の実家に帰り妊娠していることを両親に告げる。
【感想】
この作品は小津安二郎生誕100年記念として制作されましたが、小津の模倣ではないというのが率直な意見です。
後期小津作品の主要なテーマである人生の岐路にある親子の関係は本作ではあくまで添え物のように加えられているので、ここに期待して鑑賞した方が視聴後にがっかりしてアマゾンレビューで低評価をつけているような気がしないでもない。
親子の関係というよりも小津作品に感じる人と都市に流れる時を描かれていると私は思いました。
というのも本作にはストーリーらしいストーリーはありません。
このテーマを扱う中でストーリーが邪魔になってしまうと判断されたのかも。
人と都市の間に流れる時や空気をホウ・シャオシェン監督は描きたかったのだと思います。
例えばこの作品では電車が走るシーンが多く登場します。その多くがおそらく普通電車。
ゆっくりと街の中を縫うように進む電車や田舎に進んでいく気動車によって、この作品に流れる時というものを体感できることができます。
ちなみに小津安二郎も電車が好きだったようです。
洋子が記事の資料を探す際に親しくなった古書店の店主であるハジメくんなる登場人物も電車に関連する作品を作ったり、電車に乗ってモーター音やアナウンスを採録しています。
電車が駅同士を繋ぐように、都市も人生の節目同士を繋いでいる。
車窓からの眺めのように洋子の人生を眺めているような作品です。
彼女と東京や高崎との間に流れているその時間は、小津作品のように非常にゆっくりとしたものに感じられ、都市が人々を包み込んでいるようでもありました。
彼女が住んで仕事をする御茶ノ水、高円寺、有楽町となんとなく聞いたことがある街に私は何一つとして接点もないのに故郷を見るような哀愁の気持ちになってしまう。
これは彼女の目線でそれらの街を眺めているからかもしれません。
このようなことは小津作品を観ているときにも感じる感覚と一緒です。
言葉で説明するのは難しいノスタルジーをどうして感じるのだろう。
もしかしたら東京という大都市が常に変化しているために、その断片を観ることに過ぎていってしまった時に哀しみを感じるのかもしれません。
大都市だけでなく、そこに住む人々も同様に変化してしまう。
この作品が公開されて当時はまだ喫茶店や電車の中で新聞を読む人がいたり何かを調べるとなったら街中歩き回って訪ねたりするその姿に私達は失ったモノやコトを感じるのかもしれない。
そしてそれを自覚することが哀愁とかノスタルジーなのかも。
ここで言うのは、こんな時代もあったんだねといったポジティブなノスタルジーです。
でも洋子が喫茶店でPowerBook g4を開くショットになぜそんなことを感じたのだろう?
(※パワーブック出てきた時はめちゃくちゃテンション上がりました。使ってみたい。)
あと何十年後かに現代を覗いてスマホを触っている様子に同様の感情を抱くのだろうなとも思ってしまう。
もう戻ってこない都市と人々とそこに流れる時はコーヒーブレイクするようにほっとするし暖かいものかもしれない。
公開から永き日を経て観た自分にとっては暖かいものであったと思わせてくれるような作品でした。
そしてこの作品は夏の夕方に誰かと一緒に観たい映画だなとも感じました。
誰かと共有したくなるようなそんな映画です。
今後もホウ・シャオシェン監督作品を観ていきたいと思う一作でした。