関西のおじいさん・おばあさんの保養地である小豆島に行ったのは小学生のころ、
祖父母に付き合わされて連れていかれました。
延々と寺を巡ってお坊さんの説法を聞いた後に二十四の瞳映画村に行き、多分そのときに二十四の瞳を観ました。
この時の観た記憶はなんか子供がずっと歌って泣いているという印象しかなく、ただただ寺巡りに疲れていたという思い出しかありません。
その時の印象のせいか二十四の瞳は田舎の小学校が舞台の日常系の作品だと思って今回観ました。
時を経て久々に今作を観たのでその感想を書いていきたいと思います。
【あらすじ】
瀬戸内海の島に赴任してきた大石先生の昭和恐慌から第二次世界大戦、そして戦後の人生を描く。
【感想】
瀬戸内海の小学校に赴任してきた先生と生徒たちの生活をずっと撮ってるだけの作品というのが子供の頃の記憶だったので大人になった生徒の姿が出てきたのは驚きました。
おそらく最序盤で子供の頃の私は眠ったのだと思います。
ですので今回が初めて最初から最後まで観たことになります。
原作は反戦小説らしいのですが、私は社会と個人が主題だと本作を観て思いました。
どのような世相や時勢でも自分の信念を守ることの重要性を戦後すぐの時代に訴えた作品であり、また昭和初期という暗黒の時代の中で生きた人々の記録でもあると私は思いました。
小豆島の岬分校に赴任してきた大石先生は洋服を着て自転車に乗るモダンガールと島内で噂になります。
約100年前の田舎では洋服も自転車もまだ珍しい存在であり、それらを身につける大石先生の人となりも同様に子どもたちの個性を尊重する教育方針を打ち出します。
大正末期には実際に個性尊重教育が都市部の私立学校で流行したそうですが、それを田舎で施そうとする先生の自由さも感じられます。
先生にとって教育とは個人と自由な発想を育むことであったのだと思います。
担任を受け持つことになった12人の生徒をあだ名で呼んだり、課外授業を取り入れたりと幸せそうなシーンが続きます。
しかし、時代はどんどん暗くなり昭和恐慌と満州事変が発生しその影響は瀬戸内海の田舎にまで及びます。
生徒の中にも貧苦のために学校に通えなくなる生徒が現れてきたりと最初の牧歌的で幸せな雰囲気が消え失せていきます。
先生の服装も洋服から和服に変わってしまいましたが依然として教育方針を変えずに子どもたちを教えていると校長先生に呼び出され注意されます。
大石先生は”アカ”というレッテルを貼られているから時代に教育方針を変化させてほしい。
時代に合わせるとは男子も女子もお国のために尽くすというものすごく単純な方針であり、大石先生の行うような個人尊重という国家の生産性を高めることが見込めなさそうなことを認めるわけにはいきません。
このような理不尽なことを言われ使っていたアカと認定される教材も校長先生に燃やされてしまいます。
こんなことをする校長先生もなぜこんなことをしないといけないのか分からないという含みをもたせつつ説明するのでした。
12人の生徒たちも戦時体制に組まれていくことになり、男子たちも兵隊を目指すようになります。
教え子までこんなこと言うようになり自分の教育を否定されることに、先生は教職を続けることに葛藤することになり、太平洋戦争開戦前に教職を辞めてしまいますが生徒との交流は続きます。
そして国防婦人会のたすきをかけて教え子を戦地に送り出す時に泣いてしまいます。
私も思わずここで泣いてしまいました。
先生は夫も戦争で亡くしそして終戦になり、また復職することになります。
しかし戦時体制のころのトラウマのせいか生徒たちにあだ名を聞いたりすることはありませんでした。
その中でかつての教え子が同窓会を開くので先生を招待します。
教え子たちは病死や戦死などで12人から7人にまで減ってしまい、みな再会すると涙を流して喜ぶ姿はいかに辛い日々であったかということが伝わってきて思わず泣きそうになりました。
そして大石先生は彼らから自転車をプレゼントされます。
また以前のように生徒たちのことを思って教えることができる時代がやってきたことと教え子たちへの教育が間違っていなかったと確信した先生は泣いてしまいます。
私もここで一番泣いてしまいました。
そして先生が以前と同じように自転車に乗って学校に通う姿は未来への希望を託しているようなエンディングはまた泣きそうになりました。
まさかこんなに泣くとは自分でも思っていませんでした。
自分がこんなに涙もろくなったのかと確認のためにSTAND BY ME ドラえもん観ようかと思います。