久しぶりの読書記録です
昨年の4月からアートスクールに通って絵を描くようになりました。
それまで絵を描くことが全くなかったので、私が入ったのは初級クラス。
大の大人が小学生たちに混ざって鉛筆をシャカシャカやっている姿は傍目から見たら完全に教師なのですが実態は生徒です。
また悲しいことに小学生たちの方が断然上手く、初回の講座から「ひょっとして私が一番落ちこぼれなのでは?」と疑念を抱くようになりました。
最初のうちは球体や三角錐の形を綺麗に描けるための要点を先生から教わり、ひたすら描く。
家でもひたすら描いて先生に見せてチェックポイントや改善点を聞いて講座でもまたひたすら描くというなかなかのスポ根指導。
「絵も上手くなるにはこれしかないのか」と体育会系と文化系の区別の意味が分からなくなりました。
そうこうしているうちに、アートスクールでは追加料金を払えばアトリエをレンタルできることを知り去年の暮れにレンタルし「なんか描こう!」と意気込んだのですが、何も描けず困ったので先生に相談するとこちらの本をおすすめされました。
『今日の芸術』 著:岡本太郎
岡本太郎の鬼気迫る今日の芸術とは何かを約250ページで論ぜられています。
作品同様こちらの本も強烈で、この本で一番ページ数が割かれているのが第五章『絵はすべての人の創るもの』です。
私もこの章を一番繰り返して読んでいます。
雑に要約すると18世紀の画家はめちゃくちゃ上手い神技を持つ職人のみが得られる称号であったけれど、19世紀には芸術的才覚さえあれば下手な素人でも画家としてやっていける道筋が作られ20世紀には精巧な絵よりもこういう素人たちが描いた絵が立派だと徐々に認められるようになってきたのだから皆も絵を描いてみて芸術運動に参加しよう!!!という内容です。
私はここまで読んで21世紀はどうなのだろうと思ってちょっと考えたら寡作で既に有名な人が描いたアート投資で将来値上がりしそうな絵が尊ばれる時代かなと思ってしまいました。
200年後辺りの未来人に「21世紀は美術の冬の時代だな」思われないようにしたいものです。でもろくなムーブメントもないし厳しいかもなあ
この章では自由に描けといわれたらなぜ描けないのかという私が抱えていた問題についても触れられています。
既存の価値観から自分を解き放つ精神を持つ勇気こそ自由であって絵は自由の実験場なんだと岡本太郎に言われ、結局私は上手く描こうや綺麗に描こうと頭の片隅にあり、自分を晒すのを恐れているから筆が進まないし描こうともしないと気づきました。
「下手で汚くて何が悪い」くらいの気合がないといけません。
この既成概念に囚われた身を解き放つ訓練としてクロッキー帳を普段から持ち歩き色々と描いていますが、まだまだ芸術の精神からは程遠いです。