ネット上でよく見るワードとして自己投資があります。
時代に取り残されないための自己投資とかです。
自己投資の末はなんなのでしょうか。その末はおそらく成功でしょう
努力と自己研磨により得られる成功、仮に失敗しても絶対に諦めない心と失敗の分析を養い成功、このように試行回数を増やし成長することが自己投資であると思います。
少なくとも私はそう思います。
私の身近にはこのように自己投資をし続けた人がいました。
私の大伯父の息子(従伯父というらしい。我が家ではずっと名前呼びしていたので仮にWさんとします)です。
彼は非常で優秀な人で弁護士をしていまいた。
大伯父も弁護士だったので後を継いだようです。
数年に一回のペースでお盆の時期に先祖のお墓参りのために帰省していました。
私の父や祖父が頭を深々と下げて挨拶していたのを印象に残っています。
一方母と祖母は彼のことをかなり嫌っているようで、どうやらお墓掃除を一切やらずに花と線香だけ持ってくる本家の嫌なヤツという認識だったと思います。
(この本家や宗家の主従関係はややこしく面倒くさい 我が家は宗家というやつです)
母と祖母からしたら毎年他人の墓をピカピカに磨いて続々やってくる親族をもてなすのに辟易していたことだろうと思います。
彼の妻は綺麗で品の良い方だったのでしたが、この方に対しても母と祖母はよく思っていませんでした。
お嬢様育ちで母や祖母を一切手伝わずにもてなされているのが原因なのかも
だけどそんな嫌う要素あるかなと幼心に思っていました。
そして彼らの息子(Aくんとします)がどうやら中学受験をして進学校に入り国立大学医学部医学科に進学するというとんでもない秀才で父親に呼び出され、よく勉強法を聞けと言われました。
Aくんは非常に気さくな人で私は好きでした。
Wさんの人生はもう誰もが羨むような人生であっただろうと思います。
社会的地位に、綺麗な妻に、秀才の子息に
人が羨むもの全てを手に入れています。
きっととんでもない努力をしていたのだろうな
さてそんな時にWさんが今度は議員を目指し出馬を検討しているという話を中学生の頃に聞きました。議員であった大伯父の影響からだそうで、彼からは大伯父を絶対に超えてやるという執念を感じたと私の父が語っていました。
錦の御旗が揚がるかもしれんと浮かれる父親を見て「本家の人間は大変やな」と思ったものです。
ですが残念なことに彼は落選してしまいます。
そして月日が流れAくんは無事医学部を卒業し外科医になられました。
外科医になったAくんに「バチスタ手術とかやるんですか?」となかなかアホな質問し、笑いながら懇切丁寧に自分の業務について教えてくれたのが印象深い思い出です。
それが彼との最後の思い出になってしまいました。
Aくんは20代の若さで急性心不全で亡くなりました。
私にとっては知っている人間が死ぬことが初めてでかなり動揺したのを覚えています。
訃報を聞いた時に胸に穴が空いたような感覚があったことを思い出します。
お葬式に向かうと式場ではWさんの妻が出迎えてくれました。
目が腫れ上がっているその姿を見た時になんといえばいいのか分かりませんでした。
お葬式と火葬も終わり、Aくんは御先祖と肩を並べ眠ることになります。
御先祖さまもびっくりしただろうと思います。
しかしWさんは納骨以来、Aくんのお墓参りに来なくなってしまいました。
どうやら議員への道を諦めていないようで来れないそうです。
お盆の時期になり、Aくんのお墓を磨く度に成功することについて考えてしまいます。
成功し続けた人生の中でWさんは選挙で落選するという自分ではどうしようもない現実に初めてぶち当たったのかもしれません。
自己投資をし続け見事に成果を得続けることは素晴らしいことだと思いますが、変えられない現実に躍起になるWさんの姿を見ると礼賛する気分にはなりません。
しかし自分ではどうすることもできない現実から手を引くことは英断以外の何物でもないと思います。
これは失敗ではなく撤退だと思います。
Wさんが我が辞書に撤退の二文字なしとナポレオンみたいなことを考えているのかは分かりませんが、そんなことないありません。
自己投資の成果や成功が無くてもいいじゃない、諦めたって別にいいじゃんと思います。
諦めるということは世間一般やネット上では自己投資で最悪の末路という風潮なのかもしれませんが、投資で大切なのは引き際の見極めではないでしょうか
成長や成功に固執し続けることに私はどうしても価値を見い出せません。
そしてこのような意見が自己投資と同様に議論され、WさんがAくんのお墓参りにきてくれることを祈るばかりです。