昨日は中秋の名月で私も空を見上げ月を見ていました。
名月といわれると普段と異なってより一層綺麗に見えるような見えないような気がするのですが、なぜこの時期に月見しようと昔の人は思ったのかと疑問を抱いてしまいます。
偉い人がたまたまこの時期に月を見上げたら美しく見えたからなのでしょうか?
と思い調べてみると現在のお月見は貴族の催し物から庶民に伝わり農作物が無事育ったことへの感謝祭のようなものから派生したらしい事を知りました。
月より遥かに貢献している太陽が文句を言いそうな行事です。
そして月を見上げていて思ったのですが、お月見の止め時って結構難しいです。
最初は「綺麗だな」と眺めていても5分くらいで飽きてしまいます。
5分だけ眺めるのはなんだか短すぎてもったいない気がしてしまいまた空を見上げるのですが先程と全く同じ風景が目の前に広がっているだけ。
きっとお月見が伝来した平安時代の貴族の中でも(早く帰りたいな)や(行きたくないけど左大臣に誘われたから断れんわ〜)とか思いながら月を見上げていたいた人もいたかもしれません。
もし嫌々参加してた貴族がいたならばその気持ちすごい分かります。
そしてお月見を早々に切り上げ昨夜はヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリーを観ていました。
・ニックス・ムービー/水上の稲妻 1980年
背が高いモジャモジャ天パの文学青年・ヴィムとガンの手術明けでヨボヨボに弱り果てた映画界の巨匠・ニコラス・レイ(ニック)の交流が描かれたドキュメンタリーです。
ヴィムは以前仲良くなったニックと共同製作する次回作の構想を練るためにでニックがいるニューヨークに向かいます。
しかしニックの病状はかなり悪いことをそこで知りヴィムはこのままドキュメンタリーを撮ることを中止するかどうか迷い始めます。
おそらくこのドキュメンタリーは次回作に向けてのプロモーションというのがヴィムの思惑だったのでしょう。
肺ガンの手術を受けて全身にガンが転移しているニックを心配するのは当たり前です。
当のニックは肺ガンを患っているのに煙草をスパスパ吸うかなりファンキーなお爺さんです。
そして大学の講演に赴いたり舞台の演出を指揮したりとかなり精力的な活動をしますが体はどんどん蝕まれていき、そのような彼を撮ることにヴィムは苦悩する中で最悪の事態を迎えます。
この結末を見るとなぜ彼はあれほど精力的に動いていたのかと思ってしまいます。
私が最も印象に残っているのはニックの目線です。
それは死ぬ間際の悟りきって絶望的な目線というよりエネルギーに溢れている鋭い目線でした。
「俺の精神は死んでいない」と訴えているような目線を最後まで絶やしません。
ヴィムもそれを感じていたのか最後にニックがこちらを見つめずっと語るというロングカットが挿入されています。
その姿に私の心を打たれなにか胸の中に熱いものを感じ勇気づけられる作品でした。