せっかくのゴールデンウィークなのに雨ばかり降っているので、自宅にこもり映画を観る土日になっています。
日本が誇る名作家ですね
本作は東京・山の手に住む上流階級の人々を登場人物にし親子愛について語るという戦後小津作品に多く見られるプロットを踏襲しています。
続けて撮影・編集
というリズムを一切崩すことなく淡々と物語が進みます。
徹底した反復でありラヴェルのボレロのようで、そこが非常に心地いいのですが
初めて小津作品に触れる方にとったらはっきり言ってものすごく単調です。
アクション映画が好きな方はかなりきついかもしれません。
私も初めて東京物語を観た時は正直途中で寝ました。
ですが現在の私は小津作品を観た後に彼以外が作った映像作品を観ると編集や演出が過剰に思えてしまいます。
余計なものを削りに削って清廉された小津調が本当に完成されたのが本作なような気がします。
なにが言いたいのかというと本当に素晴らしいのです。
もうそれ以外に言うことがありません。文句のつけようもないのです。
なので小津作品がなぜ日本的と言われるのかちょっと考えてみます。
おそらく俳優たちの起伏のないセリフとほとんど無表情な演技からそうおもわれているのかもしれません。
ですが本作では無表情で起伏のないセリフは年配の人々が担当し、感情豊かな演技をして起伏溢れるセリフは若い女性が担当しています。
前者は大体和装を身にまとい、後者は洋装を身にまとわせることで登場人物のキャラクタライズを行っています。
変化する山の手の価値観への演出だと思います。
次に思いつくのは、年配の人々は若い人たちにニコニコと語りかけたり、反対に若い人は年配の人々を敬ったりする姿に古き良き日本を感じてしまうのかもなと思ったりしましたが、これは多分間違っています。
小津監督がソフィスティケートという演出概念を非常に重要視されている方であり、自分が美しいと思わないものを徹底的に排除した結果、不朽の芸術を創造したのです。
そして彼への模倣がいつしか日本的と呼ばれるようになったのかもなと思ってしまいます。
自作が日本的と呼ばれることに小津監督は苦笑いを浮かべているかも知れません。
無駄を一切取り除き、自分の美学を研ぎ澄まし制作された本作は過剰な現代に生きる人々を今後も魅了するでしょう。
本当に素晴らしいです。