夏が来る度に思うのが「暑すぎてなにもできない」という事実。
冬から春にかけてあれだけ夏に羨望の眼差しを送っていたのに、いざ夏がくるともう本当になにもできない。
レンタカーを借りて海に行ってBBQやキャンプするぞとかとてもじゃないけどできません。
夏といえばカラッとした天気に爽やかな風が吹きセミが鳴き太陽が燦々と輝くと勝手に理想化して、夏がくると毎回幻滅してしまう。
現実はジメジメした天気にぬる温かい風にうるさいセミがけたたましく鳴き殺人的太陽光が降り注ぐ。
私はなぜこう毎年毎年と飽きもせずに夏を特別視してしまうのでしょう。
理由は海
海は太陽の光で煌めき潮風が頭の上を吹いている。
海岸沿いに延びた道路を自転車で漕いでいると海水浴客の人々がどんどん押し寄せ、部活に行く私と反対方向に昨月まで閑散としていたビーチに向かう。どこからともなくソースの匂いが鼻を突き抜け、遠くの山からセミの声が聴こえてくる・・・
といった港町で生まれ育った私はノスタルジー全開の夏のイメージを未だに払拭できずにいるのです。
いい加減に現実を見たほうがいい。夏なんかありえないほど熱くてカビがあちらこちらに生えて気持ち悪い虫が家に入ってくる最悪な季節だとうことを
こんな卑屈な考えも海を見たら多少和らぐかもしれませんが、海に至るまでの道程を考えるとちょっと無理です。
ここまで夏の悪口を書いたのですが、私もちゃんと夏を満喫したい。
本当は朝昼晩に冷やし中華と食後にスイカを食べたいし30分ごとにアイスも食べたい。
しかしそんなことをしたら太ってしまうので何かもっと良い方法でカラッとした爽快感を満喫したい。
というわけで私は休日の日中に家に閉じこもりラテンアメリカ文学を嗜むことにします。
乾いた文体に不思議なマジックリアリズムに行ったこともない南米を想像しながら読み進めたいです。
手始めにフリオ・コルタサルとホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編を読んでいきます。
二人ともマジックリアリズムの大きな特徴である日常と非日常のシームレスな接続が大変素晴らしい作家です。
私が思うマジックリアリズムの面白さは非日常という世界に気づけば足を踏み入れ登場人物たちは受け入れてしまうという不思議な感覚を味わえるところです。
夏になると怖い話を聞きたくなる感覚をさっぱりした風味で味わえるこのラテンアメリカ文学こそ今の私にはうってつけです。
また日本の偉大なマジックリアリストこと村上春樹作品も頑張って読んでいきます。