ののの・ド・メモワール

その日観た映画や本や音楽の感想を綴ったりしています

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日記のように色々なこと(主に読書、映画、音楽)のアウトプットをしていきたいと思います。まれに雑記も書きます。
実用的なことは書けませんがよろしくおねがいします

ビート・ジェネレーションって何世代???

〇〇世代という言葉に私はあまり良いイメージがないのはなぜでしょう?

それは主に否定的で嘲笑的で用いられ〇〇に入るワードが死ぬほどダサいせいだと思う。

だから「私、〇〇世代なんです」とポジティブな自己発信に使いたいと一切思わない。だってダサいもん。

ポジティブな使用法はアメリカから輸入したGeneration Zくらい?

これって禁じ手のような気がしないでもないけどダサいワードで括られるよりははるかにマシかもなと思う反面このGeneration Zの使用法は相変わらずダサくて閉鎖的なので言葉が代わればいいってものじゃないのだとも思ってしまう。

国産〇〇世代なんか本当に良い意味で使われた過去があるのかな

もしこれがもっと抽象的な表現―例えば色など―だったら随分と印象が違っただろうと思ってしまいます。

青の世代や赤の世代やオレンジ世代なんて呼び方ならかなりネガティブな要素も払拭できそうな気がする。

世代ごとの西暦にそれぞれ同系色を割り振ればインデックスのように使えてもしかしたら話のネタになったりして

「私、青の世代のターコイズブルーです」

「うそっ、おれ瑠璃色」

みたいな会話が展開されるかどうかは分からないけれど私はオレンジ世代のタンジェリンがいい。

なぜこんなことを書いているかと言うと私はビート・ジェネレーションについてずっと勘違いしていたせいなのです。

ビート・ジェネレーションはある特定の世代を表さずどうやら社会・文学運動を指し日本で言ったらアプレゲール第三の新人辺りの作家たちになるらしいことを最近やっと知り、再びジャック・ケルアックの『路上』を読み始めたからです。

なんでこの本を買ったのか動機が思い出せないのですが、毎回50ページくらい読んだら飽きてそのまま本棚に封印していました。

毎度毎度飽きていたのは以下2点が主な原因で

 

1.ビート・ジェネレーションなる世代の生活や風俗がただ書いてあるだけだと思っていた。

2.当時のアメリカについて何も知らなかった

 

1については世代というものに良いイメージがない私は初めから興味が持てずに最初の段階でつまづいていました。

2についてはそのままの意味で50年代のアメリカについて何も知らないのでここでもつまづき「これのどこが面白いのだろう」と頭に?を浮かべながらただ字を追っていました。

40年代後半から50年代はアメリカの古き良き時代の代表格のようでトランプ大統領のスローガン「アメリカを再び偉大に!」の偉大だった頃のアメリカもおそらく50年代。

この当時のアメリカは第二次世界大戦で欧州戦線と太平洋戦線でドイツと日本に勝利し国際連合常任理事国の一角を担いブレトン・ウッズ体制によりドルが基軸通貨になり戦争でボロボロになったヨーロッパをマーシャル・プランで救済して共産主義吹き荒れるアジアに派兵したりと世界はアメリカの物と言っても過言じゃないくらいの影響力を発揮し大英帝国の覇権を完全に奪取した栄光の時代。

一方国内に目を向けるとソ連に恐れ慄きハリウッドでは赤狩りなどが行われ有色人種に対しては根強い差別が色濃く残るなどかなり不穏な様子。

ここまではカラーでよみがえるアメリカで学習。

そんな頃に北アメリカ大陸を自由に旅をしてそれを元に一冊の小説を書いたのがジャック・ケルアック

彼が友人に「俺たちってビート・ジェネレーションだよな」と思いつきで言ったこの言葉がアメリカ西海岸の知識人たちに大いに受け正統的なアメリカの価値観に立ち向かう社会運動として認知され後々のカウンターカルチャーに繋がっていくという壮大な歴史の第一歩が本作らしい。

しかし当のケルアックはこのような受け入れられ方に困惑したようで晩年には

「ビート・ジェネレーションとかどうでもいい。仲間意識なんかない。ほんとくだらねえ。」と呆れていたようです。 

ここまでは訳者の青山南さんの解説から。

この事前意識を頭に入れ、『路上』をなんとなくパラパラとページを捲っていると以前よりは抵抗感が薄れて意外と楽しめそうな気がしてきました。