昨年から記号論やフランス構造主義にかぶれてロラン・バルトの著作を四苦八苦しながら読んでいる中でアラン・ロブ=グリエを知り、先日初めて作品を観ました。
・不滅の女 アラン・ロブ=グリエ
アラン・ロブ=グリエは事物をそのままに捉え物語の構造から脱したヌーヴォー・ロマン派の作家です。
なので物語を求めるなら読者が推理し解釈するしかありません。
彼が映画に向かったのは文学だとその事物を捉えた理由だったり原因を探らないといけないけれど、映画であったらレンズを向けるだけで理由や原因をそこに求めなくていいのでロブ=グリエが求める表現にはあっていたのでしょう。
そしてこの作品が記念すべき第一作。
トルコ・イスタンブールで謎の女性に会ったフランス人男性についてのストーリーではなく断片が時系列もなく綴られる作品。
過去の思い出を思い出そうとする思考の流れのようにこの作品には過去、現在、未来といった時間の概念が消失してしまったかのような中に、フランソワーズ・ブリオン演じる謎の女性だけが現れます。
ここで誰から見た彼女なのかという問題が浮かび上がってきます。
フランス人男性の目線から見ているのか神の目線から見ているのかは非常に曖昧というより、全てを映しているために目線すら消失しているように思います。
また特徴的なのが背景と化している登場人物たち。
そこにいる理由や登場人物たちとどういった関係であるのかなどは一切語られず、ただそこにいるだけの存在です。
記号学ぽくいったら記号内容なき記号表現といった感じかもしれません。
あるいは現代の私が当時の文化的・社会的コードの外にいるため記号内容を汲み取ることができないのか?
もしくは記号内容と記号表現が齟齬になって混乱しているだけなのか?
もしかしたら登場人物といった概念そのものが間違っているのか?
しかしこの作品にはあらゆる私が持っていた映画に対する価値観に新しい目線を与えてくれる作品でした。
「こんなことしていいのか」と今までの価値観が塗り替わる幸せに接せれる作品でもあります。
クリストファー・ノーラン好きな人はハマるかもしれません。