断捨離がてら家にある不用品をちょっとずつ売って得た資金を元手に私は去年(というか一昨年・・・)から悲願であったカメラを手にしました。
手にしたのはフィルムカメラで、そしてフィルム代が高くてビビっています。
フィルムカメラを手にした理由は私は利き目が左なのでカメラを扱えるか心配であったこととデジカメはエントリーモデルでもそこそこの値段だった(気がする)ので、お試し程度の軽い気持ちもあります。
実際フィルムカメラの本体は探せば格安の物が多々あり、本体と50mmレンズそしてフィルムを買っても元手は枯渇せずに余裕があります。
しかしそうは言ってもフィルムが高いのでパシャパシャと撮影はできず、「撮るべきかどうか」の自問自答をしながらシャッターを押しています。
4月の上旬に田舎に旅行に行った際も結構悩みながら写真を数枚だけ撮りました。
使ってみて感じたフィルムカメラの面白いところはシャッターを押してカメラを下げた瞬間に目の前の景色のどこを切り取って撮影したのか確認できないところです。
もう一度ファインダーを覗けばいいだけなのかもしれませんが、なぜかそれを行う気にはなれない。
フィルムにはその瞬間の自分の気持ちも刻印されているのだなと感じていました。
そしてもうひとつ今月に始めたことは瞑想です。
実際やってみて思ったことは瞑想はすごく難しいです。
呼吸を意識して目を数分間閉じるだけの行為なのに結構な集中力が必要です。
なかなか上手くいかんなと思って色々と瞑想やら禅について調べていると「見性成仏」という概念を知りました。
自分自身を否定せず仏になる性質があると自覚する禅宗の教えのようで、私は禅宗に改宗したくなりました。
見性成仏の精神を多少は実践して頑張ってみると、上手く瞑想に入れるときが不定期に存在し結果はすごい心がすっきりします。
上手くできる時間帯などを探してこれからもやっていきたい次第です。
近所にめちゃくちゃ毛並みが汚く世の全てを憎んでいそうな目をした一匹の茶トラ猫をよく見かけました。
この茶トラ猫はところどころに切り傷も見られ痛々しい姿を見るのは辛いものでした。
彼か彼女か分かりませんが、この猫が最も憎んでいると思われるのは最近やってきたボス猫だろうと思っています。
このボス猫は大柄で「ここはワシのシマや。文句ある奴かかってこんかい」と言わんばかりのふてぶてしい顔をしています。
偉そうな奴がふてぶてしい面をしているのは猫の世界も変わらんなと思っていました。
そんなボス猫にルサンチマンを積もらせていたであろう茶トラに先日会ったら、すごく身なりが綺麗になっていました。
見違えた姿にびっくりしていると、茶トラの後ろに猫がもう一匹。
多分恋人なのでしょう。
なるほど、愛の力は偉大だなと思いましたが、身なりが綺麗になって自信が付いたのが先なのか一目惚れして努力したのが先なのか気になるところです。