アルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』を観ました。
サンフランシスコに住む大学で言語学を教えたり教育基金を募るパーティーに参加している新聞社社長の令嬢でソーシャライトのメラニーは鳥専門のペットショップで弁護士のミッチに会い、彼が妹の誕生日のために購入したラブバードを彼のアパートへ届けることになります。
しかし彼はどうやらサンフランシスコから北へ100km進むとある小さな街バゴダ・ベイで週末は過ごしているようで彼女もその街へ行きます。
バゴダ・ベイにてミッチと出会ったメラニーはお互いに惹かれ、サンフランシスコへ帰る予定を変更し彼女はこの街に何日か滞在することを決めます。
そしてこの街にてメラニーや街の人々が鳥たちに襲われます。
最初のうちは1羽のカモメがボートに乗っているメラニーに襲ってくる程度の些細な襲撃です。
些細といっても私は一度だけトビにホットドッグを取られたことがあるので、その体験を思い出しドキッとしました。あれは本当に怖いです。
こうして不定期に鳥たちは段々と凶暴性を増していき集団で人を襲うようになります。
この作品は当時に用いられた特殊合成の耐久年数がもうとっくに過ぎてしまっているので仕方はないですが、正直鳥に襲われているシーンは特にスリルも感じず怖くありませんでした。
ただ襲われるまではスリルに溢れています。
作中ではかなりの頻度で気を抜いてしまいそうな会話劇が挿入されており、観ている側はここで油断してしまいそうになります。
会話劇を観ながら「ちょっと眠くなってきたわ」と思ったら鳥が羽をばたつかせる音が微かに聞こえ身構えてしまったりと油断は許さません。
またこのサスペンス演出のために劇伴は一切用いられていません。
こうすることで不穏な音楽が流れると「ここで襲われるんだな」と思うお約束な流れが無くなり観客は緊張を緩めることができません。
音楽がないために、鳥が襲ってくるという設定が一際怖くも感じることができます
鳥の大群が近づいていることを察知しても空にいる彼らに人間は何もできないので襲来を待つしかありません。
鳥たちが近づいたら襲われることは分かっているけれど、どう襲われるか分からないという不安が常に画面に漂っておりそれはラストの夜のシークエンスで最高潮に達します。
ここでメラニーが階段の上を確認するために懐中電灯を照らしながら上るシーンは本気で怖かったです。
ヒッチコック監督は階段を使う演出がいつ観ても上手すぎると思った作品でした。
また恐怖の対象が鳥というのも絶妙なチョイスで鳥は人間と馴染みは深いけれど交流することはかなり少なくその実態をよく知る人は少ないと思われます。
これがもし襲ってくるのが猫だったら、それはそれで怖いけれど恐怖より多分癒されます。
身近にいるけれど得体の知れない動物を考えていると私は友達が猿山で猿の大群に襲われた様子を思い出しました。